サーディン内藤の
嗚呼!我が負け犬人生!
ピエロと呼ばれて・・・
〜 Born to be a LOOSER〜







その1 その2 その3 その4 その5
その6 その7 その8 その9 その10
その11 その12 その13 その14 その15





嗚呼!負け犬ギャラリー




遠吠え その1

 求道Sのベーシスト○○氏は小さい頃からおっちょこちょいで あった。彼が小学生2年の時、大好きなおばあちゃんがバス旅行 につれていってくれた。優しいおばあちゃんはテトラパックの (注:昔はコーヒー牛乳が三角錐形のテトラパックという紙パックに 入って売られていた)コーヒー牛乳を高速で走るバスの車中で 買ってくれた。自我の目覚めつつあった○○氏は、制止する おばあちゃんを振り切って自分でテトラパックの口にストローを つっこんだ。そのとき悲劇が起こったのである。

 ○○氏が強く握り締めていたテトラパックに差し込まれたストロー から勢い良くコーヒー牛乳が噴出したのである。隣に坐っている 乗客達の悲鳴につつまれた車内はパニック状態になり、自分も パニック状態になった○○氏はさらにテトラパックを強く握りしめ、 結局コーヒー牛乳は全て車内に散布されてしまったのである。

 この日から○○氏はお年寄りの意見に耳を傾けよう、と心に 決めた。


遠吠え その2

 求道Sのベーシスト○○氏は小さい頃から極度の高所恐怖症 であった。彼が幼稚園に通っていた時分など、家族全員で レストランに食事に行って2階の席に上がると、恐怖感から床を 這って所謂ホフクゼンシンの態勢となるほどであった。
 この症状はその後も彼を悩まつづけた。中学3年のとき、大阪 吹田にある万博公園のエキスポランドに関西で初めてループ コースターが出来たのでクラスメートと遊びにいっても、一人だけ 下で待っているという情けない有様であった。

 社会人になった彼に待望のガールフレンドができたが、彼女は 大の絶叫マシンマニアであることが判明し、ほどなくしてその恋は 終焉を迎えた。また、会社の海外出張でドイツに外遊した際、 現地の駐在員が気を利かせて彼をケルン大聖堂に連れて行った。 この大聖堂は階段で最上階まで上がることができる名所であった が、彼は途中で体が動かなくなってしまい、それ以来ケルン君と 異名を取るようになった。


遠吠え その3

 求道Sのベーシスト○○氏は小さい頃から奥手であった。 自分が心を寄せている女の子に告白するなど絶対にあり得ない ことであった。ところがそんなシャイな彼にも中学1年のときに 転機が訪れた。

 とある土曜日の昼下がり、クラスメートのS子より彼の自宅に 電話があり、S子の親友のこれまたクラスメートのO子ちゃんが 付き合って欲しいといっている、という申し入れであった。
O子ちゃんといえば自分としてもまんざらでないと妄想を抱いて いた○○氏は、その申し入れに快諾した。

 初めての出来ごとに○○氏は興奮していたが、なんとその夜、 こんどは別の女性(だたし名前は名乗らない)から電話がかかり、 ○○氏には彼女がいますか?という質問を受けた。一気に春が 訪れたと有頂天になった○○氏は、迷わず「彼女はいない」旨を その電話の相手に伝えた。その夜は○○氏にとって人生最良の 夜であったが、翌日学校に行くと、そこにはS子とO子ちゃんの 何故か冷たい視線が○○氏を待ち構えていた。程なく、○○氏は 別のクラスメートと仲良く手をつないで下校するO子ちゃんの姿を 目撃することになる。このときから○○氏は、恋愛は駆け引きで あると悟ったのである。しかし、そのときの教訓は今も活かされて いない。

遠吠え その4

 求道Sのベーシスト○○氏は小さい頃から飲み込みの悪い子だった。 小学生1年の時、全校生徒を対象とした水泳検定試験が催された。全くの カナズチであった○○氏は水に顔をつけるのが精一杯で、全ての試験に パスできず仕舞であった。検定担当の先生から、「どの試験に受かったの?」 と聞かれたのを、「どの試験を受けたの?」と聞かれたと勘違いして しまい、○○氏は堂々と「全部」と答えた。先生からは水泳帽につけるいろいろな 色の紐やらイルカマークのワッペンやらをどっさりもらい、○○氏は御満悦で帰宅 した。自宅に帰って先生からもらった紐やらワッペンを母親に頼んで水泳帽につけ てもらった○○氏は翌日からちょっとしたヒーローになった。クラスの皆も非常に 驚いた。しかし、裸の王様状態はそれほど長くは続かなかったのである。このとき から○○氏は、人の話しは最後まで聞こう、と心に決めた。

遠吠え その5

 求道Sのベーシスト○○氏は小さい頃から大変な恥ずかしがり屋であった。 幼稚園はと組み時代、スクールバス通学していた○○氏はあるとき帰りのバス 車中でおもらしをしてしまった。○○氏の降車すべき場所へバスはアプローチ していたが、そこで座席を立てば自分の失敗が皆にばれてしまうと考えた ○○氏はそのまま終点までいくことに決めた。当然ながら先生からは何故 降りないのか?と詰問を受けたが、苦し紛れに自宅が引越したことにして終点 まで行き、結局徒歩で自宅まで帰還したのである。先生あるいはバスの運転手 さんが○○氏の失敗に気がついたかどうかは定かではない。この時から ○○氏は、嘘も方便である、ということを学んだ。

遠吠え その6

 求道Sのベーシスト○○氏は小さい頃から臆病者であった。小学1年のあるとき、 風邪を引いてしまい母親につれ られて小児科を訪れた。大の注射嫌いであった○○氏は、診察室の雰囲気から自分 が注射を打たれることを察知し、脱出を試みようとあばれだした。それをみた医者 と母親は、絶対に今日は注射を打たない、ということを口々に○○氏にいってきか せ、ようやく○○氏も、そうゆうことなら、ということで落ちついた。そのときで あった。医者はおもむろに隠していた注射器をとりだして、○○氏の右腕につきさ し、その行為を成し遂げたのである。○○氏は注射の痛さと、そして何より最も信 頼すべき医者と実の母親に裏切られた衝撃で烈火のごとく泣き出した。そんな ○○氏をみかねて医者が飴玉を○○氏に食べさせて事態の収拾を試みようとした 。風邪であまり体調のすぐれなかった○○氏は、せっかくの勧めであったがその好 意を固辞した。しかし医者も母親もなんとか飴玉を食べさせようとして無理やり ○○氏の口に飴玉を押し込んだ。飴玉を食べさせれば自分たちの嘘が帳消しになる と大人の判断が働いたのであろう。ところが気分の悪い○○氏は数分後飴玉と共に 胃の中のものすべてをその医者に向って吐き出したのである。診察室の様子ははま さに地獄絵図であった。そして何故か○○氏は母親にこっぴどく叱責を受けたので ある。このときから○○氏は大人が大嫌いになった。

遠吠え その7

 求道Sのベーシスト○○氏は 小さい頃から早熟であった。小学3年のとき、母親の買い物についていった○○氏は 八百屋の店先に並んでいる糸こんにゃくのパックを見つけた(当時はコンビニなど なかったので、八百屋さんにも野菜以外の食料品がいろいろ置いてあった)。通常 、母親が買い物している間の暇つぶしに隣のタバコ屋の店先にならんでいる所謂有 害図書を立ち読みするのが○○氏の日課であったが、この日は母親と八百屋のおば さんの世間話しがいつもより長く、○○氏も手持ち無沙汰であったため、その糸こ んにゃくのパックを手当たり次第に揉みはじめた。あまりの手触りの良さに、先程 読み終えた有害図書に描写されていたさまざまな光景が走馬灯の様に○○氏の脳裏 をかけめぐり、次第に現実と空想の区別がつかなくなっていった。ところが、あま り力を入れすぎて揉んでしまったため、パックが破裂してしまい、中に入っていた 糸こんにゃくが全部飛び出してしまった。白昼夢の世界から我に返った○○氏は慌 てて周囲を見まわしたが、幸か不幸かお店のおばさんは母親との話しに夢中になっ ていて飛び出した糸こんにゃくには気がついていない様子であった。○○氏は用事 を思い出したから、といってその場を静かに立ち去ったのである。このときから ○○氏は、柔らかいものは優しく揉まなくてはならない、と悟ったのである。

遠吠え その8

 求道Sのベーシスト○○氏は 大学生になっても注意散漫であった。○○氏はとある日、軽音サークルの友人F田氏 の下宿へ遊びにいった。F田氏は整理整頓という概念を全く持たない人物であり、彼 の下宿部屋はとても人が住んでいるとは思えぬ様相を呈していた。たとえば、床の 上にはいつ買ったかわからない食べ残しの惣菜パックなどが散乱しており、2人で遊 べるようなスペースは存在していなかったのである。さすがの○○氏も、こりゃ早 く帰ろうと内心思っていたのであるが、そんな時、玄関に置いてあるコップに毬藻 を発見した。それを見て○○氏はF田氏を見なおした。汚いところにすんでいるが 、こうやって毬藻を飼育しているF田氏が急にいとおしくすら感じられたのである 。彼も郷里から大阪に出てきてはや3年、やはり寂しいこともあるんだろうな、など と一人感傷的になっていた。○○氏はそんなF田氏に「いつ阿寒湖にいったの?」と 訪ねた。ところがF田氏は「北海道には行ったことが無い」と答えたのである。毬藻 のこをと問いただすと、なんとそれはコップに入った水のなかでカビが成長したも のだったのである。このときから○○氏は、物事を判断するには慎重を要するとい うことを学んだ。そして二度とF田氏の下宿を訪れることはなかった。

遠吠え その9

 中学に入学した○○君に最初の夏休みがやってきた。彼は水泳が得意であったため (注:カナズチだった彼も小学2年から3年間スイミングスクールに通って泳げる ようになった)、自宅の近所にある市民プールに通いはじめた。夏休みということ もあり、決して大きくないプールはいつも子供たちでにぎわっていた。そんな中に 、いつも独りで泳いでいる中学生くらいのとっても可愛い女の子がいた。○○君の 好みのタイプであったが、彼はとてもシャイな性格であり、声をかけるなどもって のほかであった。いつも遠くから彼女のことを眺めていた。そんな彼女も○○君の 視線に気がついたのか、ときどき目が合った。心がときめいた。

 そんなある日、いつものように○○君が水の中に入っていると、プールサイドから 「こんにちは」という声が聞こえた。振り返るとなんとそれは彼女であった 。○○君は金縛りにあったように緊張した。彼女は「名前はなんていうの?学校は どこ?」などと○○君のプライバシーについての質問を投げかけてきた。○○君は それにたいしてぶっきらぼうに答えるのが精一杯であった。心臓が破裂しそうにな った。

 夕方になり、プールをあがる時間になった。いつのまにか彼女の姿は消えていた 。先に帰ったんだ、と思って○○君がプールの外に出たら自転車置き場に彼女が待 っていたのである。○○君は完全に舞い上がってしまった。どんな会話をしたのか 記憶にさだかでないが、体中に電気が走ったことだけは鮮明に記憶にのこっている 。まさに盆と正月が一度に来たような、この世の春であった。そんな○○君の夢心 地は、しかしそれほど長くは続かなかった。翌日もプールに行ったがそこに彼女の 姿はなかった。風邪でも引いたのか、用事でもあるのか?そんなことを思いながら もその翌日もプールに行ったがやはり彼女はこなかった。○○君をいいしれぬ寂し さと動揺が襲った。彼女に会いたい。その日から○○君のプール通いが始まった 。雨の日も風の日もプールへいった。台風が上陸した日もプールへ行ったが、来て いるのは彼独りだけであった(注:なぜこんな日にプールが開いていたのかはいま だになぞである)。暴風雨の中をがむしゃらに泳いだ。プールのおばちゃんに 、「お兄ちゃんほんまにプール好きやな」と半場呆れ顔でいわれた。彼は心の中で 叫んだ。「好きなのはプールじゃなくて彼女だ!」そんな彼の熱い思いもむなしく 夏休みは終わりを迎え、2学期が始まった。結局彼女に再び会うことはなかった 。彼女の夢を何度も見た。 いまでも夏になると、あの時の彼女のまぶしい笑顔が カルキの臭いと太陽の光とともに胸によみがえるのであった。
えーはなしやなー

遠吠え その10

 求道Sのベーシスト○○氏は は中学生になってもどんくさかった。彼のクラスには所謂堅気ではない方々のご 子息が在籍されていた。彼は番長であり、いつもクラスのみんなをいじめていた 。○○君も例外ではなかった。昼休みが近づいてくるとパン代をたかった。「パン 代貸さんかい」(注:パン代をだせ、という意味であって、あとで返してくれると いうことではない)と○○君を問い詰めた。そこで○○君はすかさず「お金もって へん」と答えると、番長は「ジャンプせんかい」と言った。几帳面な○○君はその 場でジャンプをして、ポケットに入っている小銭がチャラチャラと音をたてた。番 長はなかなかのアイデアマンである。その時から○○君はお金は財布にいれておく ものである、ということを学んだ。

遠吠え その11

 求道Sのベーシスト○○氏はくそまじめであった。クラスの番長から○○君と彼の 親友T君が呼び出された。なぜか機嫌の斜めだった番長は2人にコーヒー豆を渡し て「豆食わんかい」と命令した。コーヒービートなら食べたことはあるが(注:コ ーヒービートというコーヒー豆の形をしたチョコレート菓子)、本物のコーヒー豆 など食べたことはなかった。それどころか、コーヒーといえば当時はネスカフェで あり、レギュラーコーヒーなど飲んだこともなかった。仕方なく2人は豆を口に入 れて噛んだ。コーヒーの香ばしい香りが口いっぱいに広がった。この日から○○君 はコーヒーはやっぱりレギュラーである、ということを学んだ。ちなみにT君はあ まりコーヒーが好きでないのか、せっかく食べたコーヒーを吐き出していた。まだ まだ子供である。

遠吠え その12

 求道Sのベーシスト○○氏は正座が苦手であった。中学2年のあるとき親戚の法事が 然るべきお寺さんにて厳かに営まれた。○○氏は親族一同の末席を汚していたが 、お坊さんの読経は長く、痺れがきれてきた。そのうち足の感覚がなくなってしま ったが、ようやく読経も終わってお開きの時間となった。足の感覚を失っていた ○○氏はおもむろに立ち上がろうとしたが、足はコントロールを失っており、お坊 さん、親族一同が参座している内陣ででんぐり返ってしまった。○○氏は焦った 。こんな荘厳な場でとんでもない失態をしてしまった! しかし、中学生だったこ ともあり、親族一同も「長時間の正座大変だったね」とのねぎらいの言葉をかけて くれた。親戚のありがたみを身にしみて感じた。お寺さんは内陣から縁側を経て 、庭園を通って外に出る構造であった。親族に両脇をかかえられてようやく縁側か ら庭に下りて帰路に付こうとしたとき、まだ足の感覚が完全にもどっていなかった ○○氏は、なんとお寺の庭園に前方一回転をしながら転げ落ちてしまった。さすが に同情を寄せる者は一人もいなかった。あまりの無様さに心の中で「御先祖様、こ んな僕をお許しください」と懺悔したが、同時に笑いがこみ上げてきた。なんて無 様なんだ・・・・このとき、○○氏はまだまだ修行が足りないことを悟った。





私的ロック登竜門
〜今夜は語るぜぇ!〜



CHAPTER 1

1. 洋楽との出会い

私が洋楽と出会ったのは小学6年生の時であった。当時の私はタワーリングインフェ ルノとかポセイドンアドベンチャーなど海外のスペクタクル映画好き少年で、その 映画音楽が洋楽との最初の出会いであった。

それまでの私は他の小学生と同じように所謂歌謡曲を普通に聴いている少年で、私 が好きだったのは 麻丘めぐみ、アグネスチャン、安倍静江などであった。

中学に入学して程なく荒井由美の「あの日にかえりたい」とか、イルカの「なごり 雪」とか、ばんばんの「いちご白書〜」など、所謂ニューミュージックがラジオで 流れはじめ、今まで聞いていた歌謡曲にないメロディーに強く惹かれた。そんな時 、親にカーペンターズのNOW&THENというベストアルバムを買ってもらった。これが私 が最初に入手した洋楽アーチストのLPである。だんだんと洋楽の魅力に惹かれてい った私はラジオから流れるさまざまなアーチストの楽曲を必死になってエアチェッ クした。当時はエアチェックというのが流行っていて、FMやAM放送で流れる音楽を カセットに録音するのであるが、私はAMラジオにカセットデッキ(ウォークマンの お化けみたいなやつ)を近づけて、息を殺して録音した。

その後の私の人生に多大な影響を及ぼすことになるロックミュージックとの最初の 出会いは当時世界中で(ほんまかいな?)旋風を巻き起こしていたタータンチェッ クのアイドル、ベイシティーローラーズであった。その人気はすさまじく、社会現 象化していたといっても決して過言ではない。ラジオでは一日中彼らの曲がくり返 し流れ、クラスの女の子がコンサートに行くために学校を休んで大騒ぎになったり していた。彼らは演奏面で時に見るべきものはなかったが、その楽曲は素晴らしい と認めざるを得ない。私のお気に入りはYesterdays Hero, RocknRoll Love Letterなどである。

当時は洋楽アーチストの演奏してる映像に触れる機会は極めて限られていた。今の ようにMTVも無かった時代である。唯一のソースとしては近畿放送のPOPS IN PICTURE (PIP)、NHKのYOUNG MUSIC SHOWくらいであった。とくにこのNHKの番組ではWINGS, BCR, KISS, ABBAなどの一流アーチストのライブの模様をドキュメンタリータッチで 放映する素晴らしい番組であった。いずれも私のFAVORITE ARTISTである。

2. 初めてのハードロック

BCRでロックに触れた私がつぎにのめりこんでいたのは、アメリカのハードロックバ ンドKISSである。彼らの衣装、化粧、ライブの全てが奇抜でカッコ良かったが、そ れ以上にその単純かつメロディアスなストレートロックサウンドに惹かれた。私の アイドルはギタリストのエースフレーリーであった。彼の3PU付きギブソンレスポ ールがこれまたカッコ良かった。KISSと時を同じくしてQUEEN、AEROSMITHなどがロ ック御三家などともてはやされていた時代である。当時は比較的ハードロック不毛 の時代であり、そんな中にあって、彼らは検討していたし、その後のハードロック バンドを生み出す土壌を作っていた。

KISSとの出会いは偶然で、名古屋に住んでいたおじいちゃんと一緒に明治村へ車で 出かけたとき、帰りの車中でラジオからノリのいいロックンロールが流れてきた 。それはDetroit Rock Cityであった。時同じく上述のNHKの番組でKISSのライブが 放映されて虜になった。最初に買ったLPはDestroyerである。クラスメートの高橋君 もファンであり、よく2人でお互いの家で買ったばかりのアルバムを視聴した。当時 の我々の評価としてはKISSはやはりLIVE版がいい、というものであり 、ALIVE、ALIVEIIが我々の聖典であったのである。その他LOVEGUNなどもよかった。

当時学校ではKISS派、AEROSMITH派、QUEEN派、そしてもう少し年代を遡って聴いて いるZEP派、DP派などいろいろな派閥があり、それぞれが自分のアイドルが一番であ ると音楽談義に華を咲かせていた。私は勿論KISS派ではあったが、お金がなくそれ 以外のLPを買うことができなかったというのもKISSにのめりこんだ間接的要因であ るやに思われる。

そんなある日私は学校の帰りにクラスメートの井上君の自宅を訪れた。彼の自宅は 下校途中にあり、農家を営んでいた。彼の自宅でとあるレコードを聴かされたこと がその後の私の人生を決定付けたのである。その赤く縁取りされたレコードジャケ ットには4人の若いジンガイがどこかのビルのテラスみたいなところで下を見下ろし ている写真が載っていた。ビートルズの赤版であった。これはもういまさら説明す るまでもないが、彼らの前期のベストアルバムである。

井上君の自宅で初めて耳にしたビートルズ初期のナンバーに完全にノックアウトさ れてしまった。いままで聴いたどの音楽とも違うメロディー、軽快なリズム、全て が新しかった。その日以来彼らの虜になってしまった私は、少ない小遣いを工面し 、数ヶ月に一枚のペースでLPを買い、とにかく朝に夕に聞きつづけた。やはり中学 時代は完全にKISSとBEATLESに浸っていた。

3. ギタリストからベーシストへ

そんな私も地元の公立高校に無事合格し、高校生活がスタートした。中学時代以上 にラジオのエアチェックにも精が出るようになったため、一通りのメジャー求道系 アーチストの楽曲を知ることが出来た。いまでこそ万年ベーシストの座に甘んじて いる私であるが、最初私はギタリストになりたかった。何故ならギタリストは目立 つし、なにより女の子にもてそうだったからである。そこに私の原点があることは 言うまでも無いが、KISSのエース、DPのリッチー、CREAMのクラプトンが私のヒーロ ーであった。そこで私も自宅近所のダイエーの中の専門店で売っていたAria ProIIの黒いLes Paul stdモデルを\27,000で買ったのである。当時私にとって \27,000は清水の舞台から飛び降りる価格であったが、いてもたってもいられなかっ た。宝くじを買わなければ当たらないのと同じで、ギターを買わなければ全ては始 まらなかった。早速バイブルであるリッチーブラックモア奏法、エリッククラプト ン奏法の聖典を買い、しこしこ自宅でコピーをした。アンプはグヤトーンのZIPシリ ーズであった。とにかく弾ける様になりたい一心で、学校から帰ると何時間もギタ ーを弾いたが、結局それほど上手くはならなかった。特にビブラートやチョーキン グは苦手であり、コツが全然つかめなかった。どうしても隣の弦が指にひっかかり 、音が鳴ってしまうのであった。クラスメートにやはりギターを弾く森君がいた 。かれの自宅に遊びにいき、一緒にギターを弾いたりしたが、そこで彼が私に聴か せてくれたのがZEPの天国への階段であった。また、小林君の家ではPOLICEの孤独の メッセージを一緒に練習したりして過ごした。

そんなある日高校の文化祭でビートルズのワシントンDC公演のフィルム試写が行わ れていた。学校にはやはり数名のビートルズマニアがいて、かれらがどこからか 8mmを借りてきて映写していた。動いているビートルズを初めて見た。かっこよ かった。文化祭は2日間に渡って開催されたが、私は2日間朝から夕までその映写を くり返し見つづけていた。とくにカッコ良かったのがポールマッカートニーである 。かれはバイオリンベースを振りまわしながら、しかも唄を歌いながら演奏してい た。フレットを全く見ないのに正確なベースラインを刻んでいるのである。すごい !これしかない!ギターに行き詰まっていた私に一筋の光が見えたのである。そう だ、ベースを弾こう! 当時グレコギターのカタログには限定生産のラインナップ があり、そのなかにポールが使っていたリッケンバッカー4001のレプリカモデ ルがあった。地元の楽器屋でそのベースをみてしまった私は結局バンドも組んでい ないのにそのベースを購入した。たしか10万円近い値段であったが、ポールになる ためには必要な経費であった。当時のグレコはギターを買うと成毛茂?だったかの 教則カセット、ベースはゴダイゴの巣ティーブフォックスの教則カセットが付いて きた。全く役にたたない代物であった。とにかくここにベーシストとしての私の原 点がある。

その他中学〜高校時代にお気に入りだったMY FAVORITE SONGS THEN (スペルは正し くないかも)です。

  I'm not in love (10cc)
  Hotel California (Eagles)
 I'm in you (Peter Franpton)
  My best friend (Queen)
  Ebony eyes (Bob Welch)
  ロクサーヌ (POLICE)
  Dont look back (BOSTON)
 Walk this way (AEROSMITH)



CHAPTER 2

ポールに憧れ、ポールになるため高校3年の時ベースを購入した のはよかったが、バンドを組んでいない状況下、さらには大学受験 に挑戦するという非常事態宣言の元ではとてもベースを練習する ことは出来ず、結局毎晩ベットの下からベースをとり出しては ひたすらポールになった自分を想像して妄想に浸るしかなかった。 ここで当時の私の生活について若干触れておこう。私は元来何事も 計画を立てた時点で満足してしまう性格であり、受験勉強もかくの ごとしであった。勉強も深夜放送をききながらの「ながら勉強」で あり、親に通わせてもらっていた塾にいたっては深夜勉強の影響 からほとんど眠っていたのが実情である。当時の私は夕方仮眠を 取る生活パターンになってしまっていて、とにかく授業が始まると 同時に睡魔に襲われ、テスト中も眠ってしまった。親が呼び出され、 激しく叱責を受けたのも今となっては青春時代の苦い思い出である。

高校時代は音楽が全てであったことから、将来はとにかく音楽 産業に従事したいという漠然とした夢があった。今振り返ればまさに 若気の至りであるが、やはり若いころは夢見がちである。こんな私の 高校時代を総括するなら、音楽と勉強と睡眠と自家発電に明け 暮れた3年間であり、どちらかというと人生の灰色期間であると いうのが正直なところであった。そんな私であったが、浪人する ことなくなんとか志望大学に合格したのは18の春であった。

大学に入学して、最初に考えたのはどんなクラブ・サークルに 入ろうか?ということであった。私の頭は「大学に入れば自分も 女にモテるはずである」というこれまた何の根拠もない妄想で支配 されていた。そこで、好きな音楽を極める軽音サークルか、はたまた 海の男になるためのヨットクラブが選択として残った。ヨットクラブに ついては邪な心以外にも、実際海でヨットに乗れたら楽しいだろうなぁ、という気 持ちもあったのであるが、生まれながらの虚弱体質 である私には体育会系クラブのしごきについてく自信がなかった。 先輩は熱心にさそってくれたが、結局負け犬としての道を選択した のである。あの時、ヨットクラブに入っていれば、今ごろアメリカンズ カップの練習でもしているかもしれない。今考えると、あの決断が まさに人生の勝者と負け犬の分かれ道であったことに最近ようやく 気がついたことを正直に告白せねばならないであろう。

さて、大学時代のサークル活動についてはHP上の バイオグラフィー にその実態が赤裸々に語られているのでここでは割愛したい。

音楽的にはより求道色の強いナツメロロックの探求に精がでるよう になったのがこの時期である。JimiHen, Mountain, GFR, Cactus, Vanila fudge, Free, Who,JL&C, Taste, etc いろいろ聴いた。 バンドは3人であったことから、特に3人構成のロックトリオを半分 バンドを存続させるためという目的でもいろいろ聴いた。Jimi Henは 毎晩寝ながらWalkmanで聴いたが、何も聴かないより早く眠りに 就くことができたのは印象的である。Jimiのギターは非常に情熱的 であり、時代を超えて魅力的である。タイムマシンがあるなら一回で いいから生のライブを見たいアーチストの一人だ。

これは高校時代か大学時代か記憶が定かではないが、当時は LAメタルブームの直前くらいだったろうか、どちらかというとHR不毛 であり、世の中はNewWave系、テクノ系が幅を利かせていた。 そんななかで衝撃をうけたのはSEX PISTOLSに代表されるパンク の登場であった。本来歌詞が重要なジャンルであるが、英語など わからないことから、その攻撃的サウンドは実に新鮮であった。 今でもPISTOLSは好きである。

ベーシストとしての私についても若干ここで触れたい。軽音サークル でロックトリオを結成し、ここで私はVoを担当すると同時にベースを 弾くことになった。

最初に楽器についての遍歴を語ろう。大学入学時代は高校3年の とき購入したグレコベースを弾いていたが、大学1年の冬にESPの JAZZ BASSを購入した。このベースは綺麗なブルーメタリックの 所謂ビンテージJBレプリカであり、逆巻きペグ、スパイラルタイプの ブリッジ駒などが装着されており、PUはダンカン製であった。 非常に素晴らしい音がしたが、私がJBを選んだ最大の理由はその ネックの細さにあった。指の短い(手の小さい)私にとって、ネックが 太く、フレット間隔が広いベースを弾くことは苦労であった。そこで すこしでもネックの細いベースを探した結果がJBだったのである。 実際、JBのネックはナット部においてギターよりも細く、また、PUも 2つであり、ピック弾きする私には適していた。 そんなある日、 サークルの先輩であり、同じベーシストでJBを弾いていたSさん から、ベースのPUを交換しないか?という話しを持ちかけられた。 彼のJBには当時流行っていたDimazio製のPUが付いていた。 ハードロックを演奏していた私にはそのPUの方がいいから、と いう詐欺師さながらの言葉によって、PUを交換してしまった。 今から考えると最初からついていたダンカン製のPUの方が 良かったのではないかと思う。とにかくそのESPのJBは私の大学 時代の愛器としてライブに、スタジオに、サークルの合宿にと活躍 してくれた。このベースは現在jai大僧正の小田原御殿にて然る べきオリジナル作成のツールとしてその余生を送っているが、 相当ネックが反っているらしい。また、グレコベースについては 暖気先生のたっての願いから現在は暖気宅の壁の花となっている。

その後社会人になって、初期求道Sを結成したわけであるが、 当時付合っていたガールフレンドと別れたことによる衝動買いで 新しいベースを買った。この頃はTUNEやIBANEZEなどに代表される、 所謂アクティブサーキット搭載の小ぶりなベースが流行っていて、 このベースもそんな一本であった。当時求道SでBEATELSを演奏 していたこともあって、唄いながら弾きやすそうだ、という理由で 購入し、実際に弾きやすいベースであったが、それほど音は良く なかった。社会人になってからのバンド活動は最初の2〜3年で 停止してしまったことから、しばらくはベースに触れることもなく なった。このベースはその後会社の知り合いが買ってくれた。

今から3年位前、会社の同僚とバンドを組むことになり、再び ベースを弾く機会が訪れた。当時米国の担当をしていたことが あり、年に数回渡米していたが、現地の楽器屋で楽器の日米 価格差に驚かされた。Fenderなど日本の半額で手に入ったので ある(為替レートが円高だったこともある)。そこで見つけたのが 大学時代から憧れていたMusicmanのスティングレーベースで あった。このベースは嘗てはフュージョン系のベーシストなどが 使って人気があったモデルで、Fenderの創始者であるLeoFender が作ったベースである。当時としては画期的なアクティブサーキット が内蔵されていて、Treble, Mid, Lowをそれぞれブースト・カット できる。私はその値段の高さと、重くて弾きにくいベースである、 という先入観を抱いていたが、店頭で試奏してその弾きやすさ、 バランスの良さに感激した。ネックは平たく、非常に弾きやすいし、 プリアンプのおかげで腰のあるサウンドを出すことができた。 値段も日本の半額以下ということもあり、思いきって購入し日本に 持って帰った。求道Sは活動休止状態であったが、会社のバンドや 暖気先生の所属する証券会社のメンバーによるBzバンドなどへの 参加で活躍した。このベースは今でも拙宅にあり、然るべき出番に 備えて毎晩油を差し、ワックスでピカピカに磨いている。

最後に購入したのが現在のメインベースであるRickenbaker 4001 である。いまさら言うまでも無いがポールがBEATLES後期(実際は1965年のUSツア ーで購入したようである)に使っていたものだ。 また、DPのMachineHeadもロジャーグローバーによって全てこの ベースで録音されているらしい。そのサウンドから所謂トレブリーな ゴリゴリサウンドを思い浮かべがちであるが、実際は非常に円やか なサウンドであると同時にしっかりした腰のある音が出るベース である。このベースは昨年夏にNY旅行をしたとき、やはり現地の 楽器屋で衝動買いしてしまった一本である。そもそもポールに 憧れてベーシストになったが、Rickenbakerやヘフナーのバイオリン ベースを実際に買おうという気持ちは全くなかった。ところが、実物 を目の前にして実際に試奏してみるとそんな気持ちはどこかへ 吹っ飛んでしまった。高校時代に掻き立てていた妄想が突然頭を 支配し、これで俺もホンマモンのポールになれるんやー、という 悪魔の囁きに屈するにはそれほど時間はかからなかった。その ベースは4001のリイシューモデルで、バインディング無しのモデル である。発売当時のハードケースまで復刻されており、心憎い。Rickenbakerは全て ハンドメイドであり、木材も自然乾燥している ことからFenderなどよりは高価な楽器である。また、湿度に弱く、 それなりの管理が求められる。現在私はこのベースに満足して いるが、唯一不満な点はホースシュータイプといわれるオリジナル ピックアップが搭載されていて、右手で弦をミュートすることが 極めて困難な点である。それゆえに先般も演奏面においてjai 大僧正から厳しい教育的指導&叱責を受けたことは記憶に新しい。

私の楽器遍歴を総括するなら、「良い楽器は良い」ということで ある。誤解を恐れずに言いかえるならば「音は値段に比例する」 とも言えるのではないだろうか。安いものはそれなり、な世界である。



CHAPTER 3

私のベーシストとしての生立ちについてはその概略を紹介したわけであるが、それ ではどのようなベーシストに影響を受けてきたのか、ということを抜きに私自身の ことを正しく御理解いただくことは難しいであろうと勝手に考え、其の辺について さらに筆を進めることとしたい。

1. これまで何度も述べていることであるが、最初にベーシストを志すきっかけを作 ってくれたのはポールマッカートニーであることは疑う余地のない事実である。彼 のスタイルは所謂ベーシスト然としているわけではなく、あたかもギターを弾くか のようにメロディーを奏でるタイプである。彼の使っていた機材は彼以外が使ってい ることをあまり目にしないドイツのヘフナー製バイオリン型ベースと初期はVOXのアン プであった。このベースを選んだ理由はおそらく左利きであったことと深く関係して いると私は推測する。また、彼によると、当時はアメリカ製のフェンダーよりもヘ フナーの方が安かったそうである。

さて、彼の素晴らしさはその素晴らしいベースラインにつきるのではないだろうか? 私の好きなベースラインについては、中期から後期にかけての作品に集中している 。とくに当時のビートルズサウンドの持つ独特なサイケデリック感は、実はかれの ベースラインによるところが大きいと感じている次第である。個別に上げれば切りが ないが、あえて列挙するならディアプルーデンス、レイン、サムシング、カムトゥ ゲザー、ヘルタースケルター、ハローグッドバイなどが好きなベースラインである。

彼のベースサウンドの特徴としてはヘフナーにおいては高音が全くない、しかしそれ なりに厚いベースらしいサウンド、そして後期のリッケンバッカーによるところのブ リッジ部ミュートを効かしたサスティーンのないポコポコサウンドであろう 。LETITBEのアップルルーフトップライブにおいては久しぶりにバイオリンベースを弾く 彼を見ることが出来るが、確かこのときはフェンダーのベースマンアンプに繋いでい たのではないだろうか?ドライブ感溢れるポールサウンドをライブで堪能できる。

また、歌を唄いながらの演奏という点でも下積み時代のライブ経験からか、まった くフレットをみることなく確実に演奏ができることが単たるベーシストという枠を こえたプレーヤーとしての存在感を彼に与えている。Voとしての力量も、個人的に 言えばエルビスの次に素晴らしいロックボーカリストだと私は言いたい。伸びのあ る高音、迫力あるシャウト、まさにロックを唄うために生まれてきた人といっても 過言ではない。此の辺がいまだにこの私をしてポールたらんとせしめる彼の深く大 きい魅力なのである。

2. 同時期私が注目していたのは当時相当入れこんでいたKISSのベーシスト、ジーン シモンズである。当時の私はKISSの大ファンであり、当然ながらステージで血を吐 いたり、火を吹いたりしていたジーンも好きだった(一番すきだったのはエース )。彼もポール同様に唄うベーシストであり、また非常にメロディアスなベースライ ンを信条としていたのは偶然であろうか?実は、KISSはデビュー前ビートルズ張り のメロディアスなポップロック路線だったことはあまりしられていないのである。
この2人の多大なる影響によって、私は唄えるベーシストを志すことになる。

3. 次に私のベーシスト生活に影響を及ぼしたのが日本人であるとをここに告白せね ばならない。ルイズルイス加部こと加部正義氏である。
彼は知る人ぞ知るところの天才ベーシストであり、かってはあのゴールデンカップ スでミッキー吉野らと活動を共にしていた。その後渡米し、美術を学んでいたそう であるが、1978年頃Char、ジョニー吉長と共にJohny、Lousi&Charを結成した人で ある。私がなんでこの加部氏に影響を受けたのか、実は私自身よく覚えていないの であるが、当時暖気先生とタッシー八木氏というメンバーと3人でバンドを組んでお り、丁度JLCがロックトリオということでコピーを始めたのがそもそものきっかけで ある。彼は、CharがJLCの最初のスタジオアルバムトライシクルに収録されている 歌で唄っ ているように、まさにベースをギターの様に弾きまくるタイプであった。もともと Charによると加部氏はギターもCharより上手く弾くということで、とにかくその ベースプレイはソリッドなものであった。Charのギターとのユニゾンフレーズを多用 し、また、ピック弾きでありながら、スラップのプルを多用する点も新鮮であった 。私がESP のJazzBassを買ったのもライブでみた加部氏がそのベースを使っていたと いう実際は非常にミーハーな理由によるところが大きい。ピックで弾くというのも 彼のスタイルに多いに影響された。最初は指でも弾こうとしてそれなりに練習した が、自分にとってはリズムの取りやすいピック弾きに専念することにしたのも大学 1年のころである。それ以来どんな曲でもピックで弾くことになったのである。言い かえるとどんな曲でも指では弾けないのである。

尚、加部氏のニックネームはマーチャンであり、その眉毛が亀有派出所の両津刑事 のように左右つながっているとことから、求道Sのもう一人のギタリスト、リッチ ー小平モア氏こと渡辺下汁氏にマーチャンというニックネームを付けたのはほかな らぬ私であることは業界でもあまり知られていない。

4. 唄うベーシストというスタイルに影響を受けたのが前述の2人であるとすれば 、サウンド面において当初影響を受けたのは60年後期〜70年初期のハードロック シーンを代表する2人のベーシストである。一人はCREAMのジャックブルースであり 、もう一人はBBAのティムボガードである。どちらも強烈に歪んだベースサウンドでギ ター以上に弾きまくっていたベーシストである。ジャックブルースについては 、CREAMのファンであったことからもそのサウンド、猛烈なアドリブに魅了された 。もともとジャズ畑の人であったが、クラプトンと組んだCREAMではGibsonEB-3をマ ーシャルアンプにつなぐのが彼のトレードマークであった。3人バンドでいかにギタ リストより目立つか、ということが最大の課題であった私にとっては最高のお手本 であった。BBAのティムボガードについては、ジャックブルースよりも腰のあるサウ ンドをフェンダープレシジョンベースから奏でていた。彼のプレイもすさまじいもの があったが、バンド自体は短命であった。先日Char,カーマインアピスと組んで CBAとして日本各地で演奏したことは記憶にあたらしい。この手の歪み系ベーシスト はMountainのフェリックスパッパラルディ, Whoのジョンエントウィッスル(名前 が定かでない)などがあげられる。
特に気に入っているベースプレイとしてはジャックのIm so glad(Live), ティムの Lady(Live), などである。

5. ベースラインという観点で私を魅了するベーシストがもう一人いるので御紹介した い。レッドゼッペリンのジョンポールジョーンズである。彼のベースラインも非常に メロディアスで、実に的を得ているというか、ツボを押さえているというか、この バンドをZEPたらしめているのは実はボンゾとジョンジーのリズム隊であるというの が長年の私の持論である。彼のJAZZBASSからでるサウンドは決して歪まず、非常に クリーンなものであるが、時に優しく、時にソリッド感溢れる攻撃的なフレーズが なんとも変幻自在でロックベースかくあるべし、というまさに教本的ベースと私は思っ ている。実際Voを取らないということであれば、彼のようなベーシストになりたい ものである。

6. 最後に私が最もすごいベーシストと思っているのはジャコパストリアスであるこ とをお伝えしてこのChapterの締めくくりとしたい。ジャコは天才ベーシストとして ジャズファンのみならず、ロックシーンにおける多くのベーシストに計り知れない 影響を及ぼし、若くしてこの世を去った。フレットレスジャズベースとアコースティ ックアンプの組み合わせから生み出されるサウンドは誰のサウンドにも似ていない 、ジャコオリジナルであり、そのサウンド、フレーズ全てがオリジナリティに溢れ ている。ジミヘンがエレクトリックギターの革命児であるなら、ジャコはエレクト リックベースの革命児である。私がゴタクを並べるのもはばかられる神々しい世界で あり、是非彼の遺作の数々を聴いていただき、私の言わんとするところを感じて欲 しいと願うばかりである。因みに彼のプレーはそのソロアルバムで聴くことができるの は勿論だが、女性シンガーソングライター ジョニミッチェルのアルバムに参加したプ レーもこれまた秀逸であり涙無くして聴くことはできない。

いろいろと憧れのベーシストについて書いてきたが、私自身のベースサウンド、プレ ーに対する気持ちも歳を重ねるごとに変化している。嘗てはどうやって目立つか 、どんなフレーズを弾けば注目されるか、とうことに神経を集中させていた時代が あった。その結果が極端なディストーションサウンドを求めたり、高音でのフレ ーズを多用したり、チョーキングしてみたりという小細工に走ることになったので ある。しかし、現在はサウンド面においてはやはりベースらしい厚い音を出し、音の 長さやスライド量などで微妙なニュアンスを表現したいという境地に至りつつある ことは求道Sのライブをご覧になった賢明なる諸氏もすでにお気づきのところであろ う。ベースとは実に奥深い楽器であり、バンドの中においては目立たないが目立つ楽 器といえよう。

ココで再び総括するならば、私の目指すものはメロディー的にはビートルズであり 、サウンド的にはツェッペリンである。自分でも何を言いたいのか判らなくなって きたのでひとまずココでこのChapterを終わりとしたい。


CHAPTER 4

これまでChapter1~3において私の音楽との出会い、ベーシストへの 道をつづることによってその生立ち、バックグラウンドを御理解 いただけたことと強く信じる。さて、この章においてはベーシストとして 私が常日頃心がけている、いわば秘伝中の秘伝、宇宙の真理とも いえる奥義を後進の皆様に伝授したい。このことが一人でも多くの 方によってベースという楽器、ひいては私というアーチストを理解する 一助になれば本望である。尚、ここに書かれた内容はあくまでも 私個人の見解であり、妄想であり、戯言であることを読者の皆様に おいてはおふくみおきいただければ幸甚である。

読者の中にはこれからバンドを組みたい、しかもベーシストに なりたい、といった妄想を掻き立てている諸兄もおられるのではない だろうか。そもそもエレクトリックベースとは楽しい楽器なのだろうか? 本当に演奏できるようになるのだろうか?どんなベーシストになれば いいのだろうか?悩みは尽きないであろう。そんな悩み多き迷える 子羊達に私の20年にわたる経験から申し上げるとすれば 「まずベースを弾きなさい」ということに尽きる。これ以上もなければ これ以下もないのである。

私はバンドでベース以外の楽器を担当したことがないので、非常に 主観的な見解であることを最初にお断りしなくてはならない。 が、しかし、やはり「ベースは楽しい」ということを自信を持って宣言 したい。では何故ベースが楽しいのか、其の辺を念頭に置きながら ベースという楽器・ベーシストというポジションについて私なりに解説 を試みたい。

1. バンドにおけるベーシストの役割とはなんであるか?この正しい 認識をなくしてベーシストは勤まらないのみならず、バンドのメンバー から早晩引導を渡される運命があなたを待っているのである。単純に 言ってしまえば、ベースとは低音でリズムを刻む楽器である。この ような事を述べると、「ドラムだってリズムを刻む楽器ではないか?」 というありがちな疑問を抱く諸君も多いだろう。誤解を恐れずに言う ならベースはリズムを刻む以外に、楽曲の骨格を形成する楽器で ある。この骨格とは、まさに楽曲の骨組みである。これは同じ楽曲を ベース有り・無しで聞き比べてみるとよくわかる。目立たないがその 楽曲のおおまかな印象を決めているのは実はベースであると私は 考えている。勿論ギター、キーボード、ドラムそれぞれ楽曲の重要な 構成要素であり、それぞれに役割があるのは事実であるが、とくに 楽曲の屋台骨、土台をささえているのがベースサウンドであると私は 確信している。わかりやすい表現をするならば、ベースは線路であり、 曲がその上を走る列車である。このような認識に立って考えるとき、 ベースの重要性は嫌が上にも高まるのである。

2. ベースの練習は個人のレベル、考え方によって千差万別であろう。 教科書的な発言ではあるが、まずやはり正確にリズムがキープ できるようにメトロノームに合わせてたとえばクロマチックスケールを くり返し練習することが肝要である。ここでよく勘違いをする人が多い のであえて付言したいのは、早く弾けるようになることが目的では なく、重要ではない。あくまでも設定したテンポに合わせて正確に リズムを刻めるようになることが重要なのである。また、音の長さを 正確にキープすることも同様に重要である。音の長さは音のアタック と並んで楽曲のニュアンスを形作る重要な要素である。また、自分の 持っている楽器の特性を理解することも大切である。たとえば、 ピッキングする位置によっても音は変わる。テンションが弱いネック 寄りで弾けば甘い輪郭のぼやけた音が出るし、逆にテンションの高い ブリッジ寄りで弾けばソリッドだが低音の乏しいサウンドが出る。 同じドの音でも開放弦とそうでない場合は聞こえてくる音が異なる。 此の辺は経験を積むことによって自分の演奏スタイル、自分の楽器 との相関が次第につかめてくるものである。また、いろいろなプロの 演奏をとことん聴くことも重要である。ベースの音は最初なかなか 聴き取れないが、耳を訓練することによってたいていの楽曲のベース 音は聴き取れるようになり、それが解放弦なのか、そうでないのか、 あるいはスライドなのかプリング・ハマリングなのか、なども聞き 分けることが出来るようになる。そうすると同じ楽曲を聴くのにも ベーシストの角度からの視点でどうなのか?その楽曲における ベースの役割が見えてくる。

3. ベースの楽しさとは何か?私の場合はリズムがぴったりと決まった とき、つまりドラムとベースがぴったりと狙いのスポットに入った時の 爽快感が風呂上りの冷えたビールのようにたまらないのである。 また、演奏中においては自分の弾くフレーズ、刻むリズムがその 楽曲のコアとなっている感触、その楽曲をぐいぐいと引っ張っている 感覚、あたかも荒野に鉄道のレールを敷いている感触がたまらない 魅力である。ベースとはそんな楽器なのである。さらにベースとドラム の関係についてもここで私の持論を展開するならば、ペースとドラム はバンドにおけるピッチャーとキャッチャーなのである。ホシヒュウマと バンチュウタなのである。けしてハナガタミツルやサモンホウサク、 ましてやホシイッテツではないのである。従ってベーシストにとっては ドラマーとの相性が非常に重要であることは論を待たない。 ギタリストやキーボード、ボーカルが脱線してもそれは許されるが、 ベースとドラムが脱線することは本当の鉄道事故を意味し、まさに 脱線なのである。ベーシストとドラマーはお互いの全てを理解し、 また尊敬し、愛し合わなくてはならない宿命なのである。

さらにはベースにもいろいろな弾き方があるという点はベースの 魅力を語る上で見逃せない。所謂オーソドックスな2フィンガーに よるプレイ。そもそもエレクトリックベースが発売されるまで、ベース とはアップライト型のウッドベースであり、指で弦をはじいて演奏する ものであったことから、現在でも最もポピュラーな演奏方法である。 全日本ベース振興協会の調査によると実に80%の楽曲はこの奏法で 演奏されていることが報告されている。次にポピュラーなのは チョッパー奏法などと呼ばれるスラップ奏法であろうか。 これはフュージョン、ファンキー系のベーシストによって市民権を得た 奏法であり、弦を指で叩いたり、引っぱって離してフレットに当てる ことによって得られる独特のサウンドである。ブラザーズジョンソン、 ラリーグラハム、マーカスミラーなどが一世を風靡した。この奏法も ベーシストならではのものであり、カッコイイ。私の奏法でもあるところ のピック奏法は、嘗てはハードロック系のベーシスト、そして最近では J-POP系バンドのほとんどのベーシストにその演奏をみることが 出来る。何故最近の日本の若者はほとんどピック弾きなのか、 其の辺は謎である。

4. ピッキング奏法については私の感じている点をここであらためて 述べたい。この奏法の最大の魅力は、なんといっても楽曲にドライブ 感、ソリッド感を醸し出すことのできる点である。また、オルタネート ピッキングによって右手でリズムをキープすることが可能である。 ピッキング奏法で気をつけなくてはならない(少なくとも意識しなく てはならない)ことは、ひとつにはアタックが強過ぎて音がつぶれ ないように注意を払うことである。これはハードロック、ハードパンク 系のバンドにありがちなことであるが、ドライブ感、ハード感は音が つぶれるまで弦を強くヒットすることとは本質的には無関係であると いうことである。あくまでも正確なリズム、適度なアタックをピッキング で演出することが求められるのである。
2つめの留意点としては、ミスピッキングによるノイズをいかに抑える かとう点である。ベースの弦は太く、またピッキング部においては弦と 弦の間隔が広い。ここで正確に狙った弦をピッキングするためには 右手の振幅が大きくなる。そのために隣の弦をはじいてしまう場合が ある。この問題を解決するには正確に狙った弦だけをピッキングする 練習を重ねると同時に、右手掌および左手の指での弾いていない 弦のミュートが非常に重要になる。これは無意識にミュートが出来る ようになるまで練習・演奏を重ねるしかない。3つめの留意点としては ピッキングするさいのピックと弦のあたる角度である。いいかえれば ピックの握り方である。演奏者がベースを持った状態で、本人から 見て手の外側に出ているピックの縁から弦にヒットさせると不必要な 倍音が発生するのである。ゴリゴリ、キンキンといった感じである。 このことを狙っている場合はいいのであるが、ピックの面と弦が 並行にヒットする、あるいは手の内側に向いているピックの縁から ヒットすると倍音が出ないようである。ピッキングはアタックの効いた ドライブ感溢れるサウンドを得やすいが、その反面ベース本来の 重低音が得られにくい。此の辺をいかに克服するかが、アンプや エフェクターの設定含めての課題である。私のレベルに到達すれば どんな曲でもピックで演奏できるわけであるが、それには20年に わたる血のにじむような努力が隠されていることをあらためてここで 御理解いただきたい。

5. そんなベースであるが、楽しいことばかりでもないのはこの世の 常である。まず、楽器が重い。通常ベースはギターよりネックが長く、 ボディーもその低音をしっかりと受け止めるために大きい。こんな 楽器を長時間演奏するのは重労働である。また、ベースの弦は 太いために握力が要求される。フレット間隔も広いため、指と指の 広がりも要求される。手の小さい人にとっては非常に演奏しずらい 楽器である。私も初心者の頃は非常に苦労した。とにかく、ヘッド よりのフレットを押えることができなかった。この部分は自分から 最も距離が離れていることに加えて最も弦のテンションが高い。 それを克服するために細いネックのJazzBassを買い、さらには ベンチャーズのようにネックを立ててなるべく自分との距離を近くする ようにしたが、私的にはあまり格好の良いスタイルではない。握力 が13kgしかない私にとってはまさにホシヒュウマのように大リーグ ボール養成ギブスをつけての筆舌に尽くしがたい地獄の特訓を 克服して今があるのである。最近は牛乳を飲んで腕が伸びた せいか、このようなことをしなくても大丈夫になった。昨今市場には ショートスケールネックのベースなどもあり、女性ベーシストなどに 愛用者が多いが、私の経験からいうと、本質的にベースは重くて 大きい方が良いサスティーンが得られ良い音がでる楽器である。 従って、私はあくまでもロングスケールのベースをお勧めしたい。

さらにこれは男性諸氏に申し上げなくてはならない悲しい事実と して、もし諸君が女にもてることを最終目的としてバンドを始める 計画を練っているのであればベーシストになってはならない。 ベーシストは基本的に日陰にひっそりと咲くスイートピーであり、 捨てられてしまう味噌汁のカツオ出汁であり、決して目立たない 奥ゆかしい存在なのである。バンドの花はボーカリストであり ギタリストである。決して勘違いベーシストになってはならない。 また、練習が退屈な楽器である。一人で演奏していてもあまり 楽しくないのはまだまだ精進が足りない証拠であろうか。本当の 酒のみは一人で酒を飲むのと同じで、本当のベーシストは一人で ベースを弾くものであろうか。更なる修行を重ねるように、との天の 声が聞こえてくる。

上述のようにベースについて私のかねてよりの持論を展開したわけ であるが、皆さんの中にはすでに楽器屋に行くことを決意された方も 多いのではないだろうか?是非ひとりでも多くの方がベースに触れ、 その奥深さ、奥ゆかしさ、素晴らしさを体験していただくことを願って 止まない。

最後に読者の皆さんをミスリーディングしてはいけないので念のため 申し上げるが、これはあくまでも私の持論であって、実際に私が全て このようなことを実践している訳ではないことをお伝えしこの章の 締めくくりとしたい。世の中そんなに甘くないのである





笑うなら笑ってくれい

犬の写真展



私が内藤だ


オレの話を聞けぇええ!


これが犬の唄いっぷりってもんよ!


あ"あ"ぁ・・、ちょっと休ませてくれぇ(ぜぇぜぇ・・)


よっしゃあ、これからが本番だあ!


ぅ"ぷぶぷ・・・・・、また今日もやっちまった・・


みんなどこへ行ったんだぁ・・


私は犬ではありません。人間です。


私もです。



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