ダンキーはぜやまの

美しい様式




 このコーナーは、わたくし、櫨山@求道'SドラムがROCKの 名盤・名曲など、いわば "ROCK THE GREAT" について熱く語る、 というものであります。

 予めお断りしておきますが、ここに登場するのは、いわゆる 求道色の濃い、一本筋の通ったものだけであります。 また、さらに言うなれば、その中でも 様式美(嗚呼…)系に偏向しておると申し上げても 決して過言ではありません。

 従って、どちらかというと旧譜、特に 黄金の70年代(嗚呼…)が中心となっておりますので、 その点何卒お含みおきくださるようよろしくお願いいたします。 また、文中意見にわたる部分は、全て独断と偏見に満ち満ちた 私見・独り言であり、それ以外の部分も思い込みや勘違いに 基づいた記述があるやも知れませんので、これまたご承知 おきくださるようお願いいたす次第であります。




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名鑑 1     オペラ座の夜(A Night at the Opera) /  クイーン(Queen)

名鑑 2     虹を翔る覇者(Raibow Rising) /  レインボウ(Rainbow)

名鑑 3     ムービング・ピクチャーズ(Moving Pictures) /   ラッシュ(RUSH)

名鑑 4     東京テープ(Tokyo Tapes) /  スコーピオンズ(Scorpions)

名鑑 5     デンジャー・マネー(Danger Money) /  UK






名鑑1



 Vo, key: Freddie Marcury
 G,Vo  : Brian May
 B    : John Deacon
 Ds, Vo : Roger Taylor



A NIGHT AT THE OPERA / QUEEN

(オペラ座の夜 / クイーン)


  1  Death on Two Legs
  2  Lazying on a Sunday Afternoon
  3  I'm in Love with My Car
  4  You're My Best Friend
  5  '39
  6  Sweet Lady
  7  Seaside Rendezvous
  8  The Propfet's Song
  9  Love of My Life
 10  Good Company
 11  Bohemian Rapsody
 12  God Save the Queen


 言わずと知れたQUEENの最高傑作。巷には、デビューアルバム やセカンドの方が素晴らしい、という声も多々あるようだが、私は 聞く耳を持たない。

 いわゆる「様式美の教科書」的アルバムであり、孤高などという 形容がすぐさま頭に思い浮かぶところである。楽曲的にはロック 形式はもとより、フォーク調、コーラン(?)、バラード、オペラ様式 など相当バラエティに富んでいるのだが、その全ての根底に 流れているのは、ある種の美しい様式である。
 そしてもちろん、この当時のQUEENのアイデンティティーであった "No Synthesisers!" の文字が控え目に、だが、誇らしげ にジャケットを飾っている。

 1曲目の『デス・オン・トゥー・レッグス』、いきなり彼ららしい傑作 である。フェイドインしてくる、「いかにも」といった感じの ピアノ、そしてこれまたお約束的なB・メイのウーマントーンによる サイレン若しくは怪鳥の雄叫びのようなハイトーン及び神経を 逆撫でするようなクロマチックなリフによって、聴き手は一気に 彼らの異空間へ引きずり込まれる。
 リズムが刻まれ出してからがまたイイ。この辺りの、風邪を引いた 子供が泣きじゃくるようなギターはメイの独壇場である。 フレーズも、最近の「弾けるもんやったら弾いてみ、ホレホレ」的な ケチな速弾き野郎とは一線を画し、「さあ、どうぞコピーして くださいよ。ほら、弾きやすいでしょ。著作権も放棄してますんで、 さあさあ。(ここまで言うとらんか)」、という声が聞こえてくるほど 気づかいに満ちたものであり、初心者ギターキッズ等にとっては 恰好の生きた教材であると言えよう。もちろん、メイ自身はもっと 高度なテクニカルフレーズも自由自在に弾きこなす (んでしょう多分)。

 ただ、ドラムに関しては非常に気に入らないわけである。何が イカンかというと、ズバリ「音」である。なによりもまず、モチャーっと した芯があるのかないのかハッキリしないようなスネアの音が、 ちょーいただけない。HR黎明期の二流バンドを彷彿とさせて しまうのである。
 また、バスドラも音が柔らかすぎ、パンチに欠けることこの下ない。 タム類については、まあその性格からいって多少丸い音である のは分かるにしても、この曲ではまるで隣の部屋で録音したかの ようなモコモコした音であり、これまたいかがなものかと思う わけである。
 フレーズとしては、大部分が何の面白味もないオーソドックスな ものであるが、ところどころキラリと光る部分がないではない。 もちろん、RUSHにおける鉄人ニール・パートのように、刻みから オカズまで見事に計算され尽した、かつ、華麗なパターンでは ないものの、テイラーはテイラーなりに工夫している。 タムタムの使い方など、なるほどと思わせるところである。
 が、しかし、腑抜けたサウンドが何もかも台無しにしている。 演奏の譜面的な内容はともかく、耳にする音としてはダサイ、 イモいとしか聞こえないわけである。ちなみに、このR・テイラー、 ボンゾに憧れていたというのだが、それやったらもうちょっとヘヴィ &ソリッドに叩いたらんかい、と思わず呟いてしまいそうになる。

 ・・・と、長年思っていたわけであるが、先日久々にこのCDを 聴いてみると、昔はケチョンケチョンに思っていたこのテイラーイモ ドラムが意外にヨイのである。というか、彼らのサウンドにはこの イモドラムが不可欠なのではないか、とさえ思えてしまった。 さすが様式美である。ジグソーパズルの最後のピースがぴたりと 納まるかのごとく、彼のドラムも適材適所だったわけである。 自分でも分かりにくい例えであると思うが、まあその辺りは行間を 読んでいただくとして、とにもかくにも私は自分の不明、修行不足を 深く反省することしきりだったのである。
 ところで、この1曲目のタイトルである、"Death on Two Legs" というのはどういう意味であるのか、未だに不明である。どなたか ご存知ならお教えいただきたい。

 2曲目の『レイジング・オン・ア・サンデイ・アフターヌーン』に ついては、多くの人々は寿司でいうところのガリ、すなわち箸休め 的存在と認識しているようであるが、大きな誤解である。これ1曲 だけを取り出してみても、十分通用する素材であり、実にクイーン らしい曲であるやに思われる。
 妙なエフェクトをかけたボーカルはともかく、ハーモニーはビシッと 決まっており、Gソロもお得意のオーケストラレーションで、全く手を 抜いていない。フレーズとしてはB・メイの手ぐせ的なものが多いよう だが、これはこの曲に限ったことではない。なお、この曲の邦題、 『うつろな日曜日』というのであるが、けだし名タイトルといえよう。

 3曲目の『アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー』であるが、 一風変わった曲調ではある。唄っているのはR・テイラー、 アイドルっぽい風貌からは想像し難いダミ声である。 しかし、これでいて他の曲のハモでは可聴範囲ギリギリの 最も高いパートを担当しているのだから不思議なものである。 この曲に関しては完全にアレンジの勝利と言えよう。メロディだけ なら変なものである。

 続いて4曲目は『(ユー・アー・)マイ・ベスト・フレンド』。 日本ではシングルカットされている(他の国でもされているか どうかは知らない)。いかにもクイーンというかF・マーキュリー らしい作品であり、彼以外に歌いまわせる人間はそうそういない であろう。ただ、個人的には佳作に過ぎないと感じる。

 5曲目の『’39』は一転してフォーク調の作品。B・メイ作であり、 自身でボーカルを担当。中々まろやかな声質で、曲にマッチ している。個人的には非常に好みの曲であり、なぜこれがシングル カットされないのか不思議である。メロディといい雰囲気といい、 極めて優れていると思われるのであるが・・・。
 イントロのコーラスからエレクトリックギターに滑らかにつながる ところは、実に秀逸なアレンジである。また、1番と2番の間の 間奏部分で、刻みのバスドラが止むところもお洒落な感じだ。 曲の長さもちょうどイイのではないだろうか。
 歌詞の内容は大航海時代の冒険物語のようであるが、曲調に ぴったりであり、目を閉じて聴き入れば眼前に大海原が広がるかの ごとき浪漫漂う作品である(ホンマか?)。標題の "'39" というのは 何か記念すべき年なのであろうか。私は寡聞にして存じ上げない。 事情が許せば自分たちのバンドのレパートリーに加えたい楽曲で あるが、まったく許しそうにない。

 続く6曲目の『スィート・レディ』もやや変わった曲調である。 リズム的にも拍子が変わっていて面白い。ただ、前曲からの流れ からいうとやや唐突な進行であり、始まってしばらくの間は 乗り切れないところがあることも否定できない。コーラスが非常に ゴージャスで素晴らしい。

 7曲目は『シーサイド・ランデヴー』という肩の力が抜けるような 小作品であり、様々な音を入れて実験的に作られている。 が、あまりにクイーンっぽいコーラスが、却って曲を味気ないもの にしている気がする。

 アナログ盤ではここまでがA面である。CD世代の若人はA面と 言われてもピンと来ないであろうが、昔はレコードといえば セルロイドだか何だかの合成樹脂に溝を切って、それを針で なぞってアンプリファイアーして聴く、ということをやっていたので ある。そしてその頃のレコードというのは、表裏があり、表をA面、 裏をB面と言っていたのである。こう書くと、まさに前時代的なことに 思えるが、ほんの十数年前のことに過ぎない。ちなみに、私はこの アルバムはアナログ盤LPを持っていたのだが、プレイヤーがない ため聴けず、CDでも買い直している(悪いか)。
 話が逸れたが、とにかくこうやってA面においてかなりバラエティ に富んだ楽曲を散りばめることにより、聴く者を飽きさせず、かつ、 巧妙にクイーン・ワールドへ引き込んでいるわけである。まさしく 甘い罠であるのだが、これはまだ序曲に過ぎなかったことが、 彼らの真骨頂とも言えるB面に入ってすぐに詳らかになる。

 さて、8曲目に配置されたのが『ザ・プロフェッツ・ソング』、邦題もまんま の『予言者の歌』である。LPではB面トップを飾るわけだが、 まさに幕開けに相応しいドラマティックな8分を超える大作である。 後半部にコーランのようなものが入るなど、『ボヘミアン・ラプソディ』 と類似していながら(『ボヘ』はオペラだが)、なぜか当該曲は全く 知名度が低い。大雑把にいえば『ボヘ』がピアノ曲であるのに対し、 こちらの『予言者』はギター曲であるわけだが、別にそれが原因 ではなかろう。私などは得てしてこちらの方がヨイ曲ではないかと 思うときもあるわけであるが、『ボヘ』は耳にする機会が多すぎた ということもあるかも知れない。

 イントロは琴のような音色の楽器で始まる。と思ってジャケットを 見てみると、ちゃんと "Toy KOTO:Brian May" とクレジットされて いる。続いてマーキュリーの語り部のようなボーカル(歌詞の内容も そんな感じ)に入り、それが多重声になる。いきなりクイーン節で ある。いかにも何か始まりそうなメロディが我々様式美系民族の 琴線を激しく揺さぶる。そしていきなりバンドがフルボリュームで 入ってきて刻みに移るのだが、ここからは完全に音の流れに身を 任せることになる。実に心地良い。程よく歪んだギターリフ、よく 練り込まれたドラム、そしてその上を縦横無尽・天衣無縫に駆け 巡るマーキュリーの変幻自在なダイナミックな歌声。嗚呼、これぞ まさに様式、まさに大英帝国女王陛下万歳!である。ちなみに、 この曲に関してはドラムの音はかなりヨイ具合である。フィルも タムの使い方や間の取り方等々、肝にして要を得たフレーズと なっており、非常に効果的である。やれば出来るじゃないか、 ロジャー。

 1番・2番と若干の変化をつけながら(この辺が上手い)曲は 進み、そのうちスローダウンして、今度はいきなりコーラン状態に なる。この辺りはF・マーキュリーの独壇場である。さすがアフリカ 出身というところであろうか、ああ、この人は本質的にはこういう 路線なんであろう、と誰もが納得する唸り具合である(後年の ムスターファでも同じことを感じさせる)。
 コーランからフルバンドに戻るときがまたヨロシイ。こちらのツボを 実に的確に突いてくる。聴き手はもう安心しきって彼らの演奏に 身を委ねておればヨイのである。ここからしばらくはGソロであるが、 これがまさにメイ節である。特に、若干のブレイク後、ボーカルに 入るまでのハイトーンによるプレイはチキン肌モノである。 これを聴いていると、ギターというのは速弾きやらのテクニック より、もっと大切なものがあるということが切実に理解できる (ような気がする)。
 さらに、最後の締めくくりとしてボーカル〜コーラスの嵐となる わけであるが、ここら辺りになるとオーディエンスの方は、この曲が どこへどうやって着地するのか全く分からなくなる。が、彼らは ちゃんと計算していて、フレーズの最後 "Laugh at the Madman" の"man" の部分の和音の変化で見事に解決し、鮮やかに曲を 終焉へと導くのである。エンディングはまた琴の音色に戻り、 静謐な余韻となるのであるが、聴いている側の興奮は中々 冷めやらない。が、こちらのそんな気持ちを全く忖度することなく、 議事は粛々と進行するのである。

 次の『ラヴ・オブ・マイ・ライフ』は前曲のエンディングから間髪 入れずに始まる。イントロのピアノの調べは、どこかの深窓の 令嬢が昼下がりにソナタを奏でているかのごとく軽やかであるが、 あにはからんや、実は全身白タイツに身を包んだ髭の剃り跡 青々しいマーキュリーが弾いている、というとんでもないドンデン 返しに、人々は度肝を抜かれる。 途中から生ギターも絡むが、これがまた秀逸な取り合わせである。
 思い入れたっぷりのボーカルは、まさしくF・マーキュリー十八番 である。普通、ここまで思いを入れられると、さすがにわざとらしさや 空々しさを感じるところであるが、彼の場合は、まあフレディやから しゃーないな、と許されるところが人徳であろうか。
 途中チェロ(かビオラか知らんが)が絡んでくるところは、実に 心憎い演出である。言ってしまえばお約束的ではあるのだが、 様式美の民の心のひだを正鵠に射ている。また、この曲でソロに エレクトリック・ギターを持ってくるところが意外性に富んでいて、 非常に効果的である。卓越したセンスと言って過言では なかろう。最後に入っているハーブは、クレジットによるとB・メイが 演奏しているらしい。あ、そう、という感じである。

 10曲目の『グッド・カンパニー』は箸休めガリ的楽曲と言って しまって良いだろう。が、よくよく聴いてみると、同じフレーズの リピートでも、コーラスの付け方を微妙に変化させており、それが この曲の味わいを深めている。また、全編に流れるウクレレは クレジットによると "Made in Japan" とわざわざ謳ってあるが、 弾いているのは高木ブーではなく、あくまでB・メイであるので ご注意願いたい。

 そして『ボヘミアン・ラプソディ』、11曲目にして遂に真打ちの 登場である。まさに彼らの代表曲であり、例えて言うなら、 ZEPの『天国への階段』であり、ナックの『マイ・シャローナ』、 ユーライア・ヒープの『対自核』、、ミッシェル・ポルナレフの 『シェリーに口づけ』、ゴダイゴの『ガンダーラ』的位置付けと 申し上げて差し支えなかろう。
 イントロのアカペラからして、何かとてつもないものを予感させる ような始まり方である。ただ、それに続くボーカルとピアノ、さらに フルバンドのバックに入っても、まだ単なるバラード調楽曲であり、 私をはじめとする一般的な衆生は、これはこのまま終るのか? というやや肩透かし的イメージを抱いてしまいがちだが、この辺り、 いわゆるトーシロの悲しさと言えるだろう。
 それにしても、この曲でのR・テイラーの叩きっぷりはあまりにも 漫然としていないだろうか。音については改めて言うまでもないが、 フレーズにしてもよく言えばオーソドックス、正統的、ハッキリいえば 極めて凡庸、ありきたりなもので、他の曲のような練りこみが何も 感じられない。まあ、この種も仕掛けもないドラミングが合っている といえばそうなのだが、やはり物足りなく感じるのを禁じ得ない。
 一方、Gソロは素晴らしいの一言に尽きる。例によってテクニック 的には大したことはなく、フレーズとしてもスケール練習のような パターンであるのだが、聴く者の心にグイグイと迫り、極めて印象 深く鳴り響くのは、やはり暖炉ギターと6ペンス硬貨、さらに真空管 アンプの為せる業であろうか。ちなみに、私は数あるギターの音色 の中で、このB・メイの音が最も好みであることをここに包み隠さず 申し上げておく。理屈ではない。好き嫌いである。
 そして琴線タッチ的ギターソロが終ると、無機質なピアノの刻みが 始まり、曲はいきなりオペラちっくな展開をみせるわけである。 まあ、クイーンのことだから普通のバラードで終るわけはない、と 思っていた輩は多いであろうが、果たしてこんな展開をすることを 予想できたヤツがいようか(いや、いまい)。そんなオーディエンス の戸惑いを無視して、曲はとにかく強引にオペラに転ずるわけで ある。歌詞も意味があるようなないうような面妖なるシロモノである。 何が『ガリレオー♪』なのか訳が分からない。やがてオペラは怒涛 の盛り上がりをみせ、聴き手を濁流に漂う落ち葉のように翻弄 しながら、次なる展開に移る。
 今度はバンドによるシャッフルである。マーキュリーの ブリリアントなボーカルもパワフルで心地良い。そして盛り上がった まま一気にエンディングに持ち込むわけであるが、ここでもまた ギターアレンジが冴えわたっている。最後の最後に銅鑼が入って いるが、これは個人的には好みに合わない。が、この長い減衰に 伴って、曲の余韻に浸っていられるのはヨイやも知れない。
 なお、この曲のビデオクリップがあるのだが、こちらはイントロから して、まさに異形の世界である。胸の辺りで手を交差させた4人が トランプのダイヤ状に並んでスポットライトを浴びている、という構図 であるが、実におどろおどろしいムードを醸し出しており、ただ ならぬイメージをいやが応にも膨らませてくれる。ノーメイクで これなのだから、オジー・オズボーンも顔負けである。

 それにしても、アルバム全編について言えることだが、ピアノに 関しては相当な腕前であると思われる。テクニック云々というのは よく分からないが、非常に曲にマッチしたプレイであり、並々ならぬ 力量、センスの良さを感じる。これはすべてF・マーキュリーが 弾いているのであろうか?

 最後の最後に入っているのが『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』である。 特に記すべき事項もない、まあ言ってみればコース料理の後に出る コーヒー的存在である。

 なお、CD盤ではこの後に "I'm in Love with My Car" と "You're My Best Friend" のリミックスバージョン(91年もの)が ボーナストラックとして含まれているが、私の所有している米国 プレス盤がたまたまそうなっているのやも知れない。

 さて、ここまで読んで(ホンマにここまで読む奴がおるのか?と いう根幹的な疑問はあるが)、ベースのJ・ディーコンに全く言及 されていなかったことに気づいた御仁はおられるだろうか。 私も後になって気になり、アルバムを聴き返してみたのだが、 彼のベースはバンドの音に完全に調和・融合しており、ピクリとも 目立つ部分はないのである。その見事なまでの滅私奉公ぶりは、 ある種の感動を呼び起こすほどである。
 なお、このディーコン、ライブではマイクの前に立ち、ハモを担当 しているように見受けられるが、スタジオ録音ではどうであろうか。 少なくとも当該アルバムのクレジットには彼の名前は見当たらない。 実は唄っていたのだが、ベースのように他者の音に紛れ込んで しまいとうとう誰も気づかなかった、ということであろうか。

 以上、酔漢の戯れ言のごとくクドクドと述べてきたが、当該作品 の鑑賞の一助になれば幸甚である(ならんっちゅーの)。私もかれ これ、通算20年ほどこのアルバムを聴いてきたわけであるが、 未だに聴く度に何らかの新しい発見があるのには全く驚かされる。 それにしても、今から約四半世紀も前に、このような先進的かつ 芸術的な作品を生み出した彼らの才能にはただただ敬服するしか ない。とともに、偉大なるボーカリストにしてエンターテイナーで あった我らがF・マーキュリーの冥福をここに改めて祈る次第である。





名鑑2





 Vo : Ronnie James Dio
 G  : Ritchie Blackmore
 Key : Tony Carey
 B  : Jimmy Bain
 Ds ; Cozy Powell



RAINBOW RISIG / RAINBOW

レインボウ・ライジング
(虹を翔る覇者) / レインボウ


 1 Tarot Woman
 2 Run with the Wolf
 3 Starstruck
 4 Do You Close Your Eyes
 5 Star Gazer
 6 A Light in the Black

 元祖狂気のギタリスト、リッチー・ブラックモア率いるレインボウ の2ndアルバム。いわゆる黄金期のラインナップ(G:R・ブラック モア、Vo:R・J・ディオ、Ds:C・パウエル)により、決してHMでは ない正統派様式美系HR楽曲が繰り広げられている。
 諸般の事情を知る者はバンドのリーダーがリッチーであることは 認識できるであろうが、初めて聴く人間にとってみれば、最も インパクトが大きいのはやはりディオのボーカルであろう。かつて、 これほどまで低音から高音まで太い声のまま、かつ、伸びやかに 発声出来るボーカリストが他にいたであろうか?(いや、いまい)

 そして、もう一方でバンドのサウンドを決定付けているのが C・パウエルの伝統的HR的ドラムである。 彼の場合、派手なアクション、クラシックを用いたドラムソロ等につい 目がいき、コケオドシ的ドラマーだと思われがちであるが、これは 大いなる誤解であり、実は基礎的な部分はしっかりしているの である。シンプルなパターンに徹してキレの良さを醸し出し、 かつ、しっかりしたノリを確立。キレのいいフレージングにより 躍動感・パワー溢れるソリッドなサウンドをハードに重く叩き 出す・・・。彼はHRバンドにおけるドラマーとしての役割を正確に 認識し、それをしっかりと全うしているのである。 性格的に、あまりチャラチャラとしたオカズを入れたりするのは キライだというのはあるかも知れない。
 一時期、彼についてはワンパターン、下手っぴ、イモなどの 手厳しい評価が下されていた。確かに当たっている部分もあるの だが、この人の場合、そうした枠組みに嵌めて見るのが妥当では なかろう。コージーはコージーで良いのである。確かにワンパターン といえばワンパターン、イモいといえばイモい、大仰といえば大仰 なわけであるが、彼が大人しくなったり、フュージョンドラマーの ような華麗な技を披露するようになってしまっては、それはもはや コージーではない。ということを、彼は十二分に承知しており、頑と して自分のスタイルを変えなかったのではないだろうか。 オーディエンスが自分に何を望んでいるかということを適確に 理解し、それを着実に実行していたパウエルは優れたエンター テナーであったと言えよう。
 今さら私ごときが言うのもナンであるが、やはり彼は絶対的な存在感を 有する、不世出のドラマーなのであった。別の言葉で言い換えれば、華のある ドラマーだったわけである。我々は実に惜しい人材をなくしてしまった認識を 新たにするとともに、ここに改めて彼の冥福を祈りたい。

 1曲目の "Tarot Woman" については、特にインパクトが大きい わけではなく、さしたる思い入れはない。イントロのシンセは、ムーグ かオデッセイ辺りであろうか、いかにもアナログ系の太い音、いか にも70年代という趣で郷愁を誘われるところである。

 2曲目の "Run with the Wolf"、よくできた佳作といってしまえば それまでであるが、個人的には実に心惹かれる逸品である。 ある曲を紹介するとき、よく○○風などと表現するが、この曲は 既存のどの曲にも似ていない。全体を通して流れているのは、 いかにもブラックモア的なジプシー風味テイストであるが、ディオの 熱いボーカルがこの曲をただ単なる望郷ソングに終らせていない。 さらに、パウエルの硬質なサウンドも相俟って、非常に心地良い ハードさを醸し出している。特にイントロの出だしのバスドラ音など、 幕の内一歩のボディブロウのように、腹にズシンときて悶絶もの である。なお、ドラムについては、聞いた限りではパターン、フィル ともシンプルなもので気楽に演奏しているように聞こえるが、実際 この曲でノリを出すのはかなり難しいリズムである。目立ちは しないが、ベースが重要な立役者となっているのやも知れない。

 ギターについては、ソロの部分は今ひとつ気が乗らないような シロモノであるが、フェイドアウト少し前のボーカルのバックで オブリガード的に弾いている部分については中々カッコよく、 こちらの方がホンマのソロではないのか、と言いたいぐらいである。 サウンド、フレーズともにリッチー節ともいうべき冴えをみせている。 ひとつひとつの音に腰があって、かつ、クリアであり、しっかり ピッキングしているということがヒシヒシと伝わってくるようだ。
 リッチーといえば、若い頃にはライブでギターを破壊する アデランス・ギタリストというイメージがあったようだが(もちろん それも否定出来ないが)、実はテクニック的な水準は相当程度に高いものを 有しているのである。 中でもオルタネイト・ピッキングについては、まさに歩く教則本的 存在であり、特に3本の弦を使っての3連 フレーズ(例えばディープ・パープル時代の "Child in Time") など、世界中のギターキッズがこぞってコピーしたという登竜門 的プレイなのである。世の中に「ギター検定」などというのがもし あれば、準一級辺りの実技試験で出題されること必至、と申し 上げて差し支えなかろう。
 話が逸れたが、とにかくギターというものは華麗な速弾き等 フィンガリングに目がいきがちであるが、まずはしっかりピッキング して音をちゃんと出すことが大切なのだ、ということを改めて認識 させてくれる好プレイである。

 3曲目の "Starstruck" はHRの一様式として欠かせない シャッフルナンバーの名曲である。これまたブラックモアお得意の、 弾きやすくはないオルタネイトピッキングでのリフから始まって、 途中でハーモナイズされるという黄金のパターンであり、この部分 を耳にして思わずこぶしを握ってしまうという人は少なくないだろう。
 音階的にはペンタトニックスケール練習といった趣、かつ、ドラムと ベースが頭拍で入る(しかもクラッシュシンバルのサスティーンを 手で止める)という、もうまさに様式以外の何物でもないパターンで あり、ひょっとしたら「様式美エチュード」などというものがあって、 そこからのパクリではないかと疑いを持つほどである。
 なお、最近のテクニカルバンドならば、ベースも同じリフをユニゾンで 弾くところであろうが、ここでは敢えて頭拍だけにとどめており、 それが却って重厚な味わいが演出されていて好ましい。 弾いた後ちょっとスライドして音程を下げている点がまた心憎い。
 歌に入っても様式にキチンと則ったオーソドックスなスタイルで 実に聴きやすい。ドライブ感溢れるブラックモアのギターを筆頭に そつなくまとまったタイトな演奏をバックにして、 R・ディオが力強く唄いあげ、聴き手はまるで羊水に包まれた 胎児のような安心感に浸ることが出来る(のは私だけであろうか)。
 Gソロについては前曲同様、これまた今ひとつ力の入らないもので あるが、後半にかけては中々の盛り上がりをみせ、ボーカルに 戻るところなどは様式ちっくな形でキレイにまとめている。
 3番の歌に戻ってしばらくして、C・パウエルがシンバルを 入れるタイミングを間違えているが、うまくアクセントに変化をつける 結果となっており、臨場感が醸成されている。怪我の功名である。  曲のエンディングもまさにパターン化された黄金の様式的コーダ であり、最初から最後まで安心して聴いていられる。

 4曲目の "Do You Close Your Eyes" であるが、ハッキリ申し 上げて、私はこの曲は好きではない。ライブで中々カッコいい バージョンを聴いた記憶もかすかにあるが、とにかくここでは特に 語ることはない。

 LPレコードではここ(5曲目)からがB面である。LP、A・B面など の専門用語については、名鑑1をご参照願いたい。
 さて、そのB面最初を飾る(といっても2曲だけだが)のは、超大曲 "Star Gazer" である。初期レインボウの代表曲といって差し支え なかろう。

 曲はいきなりC・パウエルの十八番中の十八番、 「タカドコタカドコ♪」フレーズで幕開けとなる。コージーといえばこれ、 このフレーズといえばコージーというぐらいのお馴染みのものである。 かつて、つのだひろがDJをやっていたラジオ番組に、C・パウエル がゲスト出演し、ドラムバトルのようなことをやっていたことがある のだが、ジャズ畑のつのだが様々なテクニカルフレーズを連発 するのに対して、コージーの方はこの十八番フレーズ一本で押し 通し、つのだを呆れさせ、また、リスナーを震撼せしめたといういわく つきの技である。

 なお、コージーの名誉のために付言しておくが、この技はもちろん 2バスでないと出来ないものであり、かつ、スネア、タム、バスドラ をスピーディーに鳴らし切るため、相当程度のパワーと反射 神経が要求される技なのである。バスドラを2つ並べたからといって、 誰にでもおいそれと出来るものではない。 彼ほど歯切れよくこのフレーズをプレイ出来るロックドラマーは、 当時はいなかったのである(カーマイン・アピスならやるか?)。
 話が逸れたが、『スター・ゲイザー』でも当該フレーズはイントロ だけでなく、Gソロ及び後半のディオの豪快なシャウトのバック辺り でまた顔を出す。この他、手軽な一拍半オカズとして世界中の ドラマーが愛用する「タットロロン♪」も多用している。

 ところで、「タットロロン♪」については、紙幅を割いてここで若干の補足 説明しておきたい。これは誰が始めたのかは明らかではないが、ロックドラマー 必須のワザ(というほどおこがましいものではないが)であり、ちょっと 聴く分には十分カッコよく、実に応用範囲が広いテクニック(というほど 大袈裟なものでもないが)のひとつなのである。技術的には大したことは なく、初心者から初級者に移行する辺りで誰でもマスターできるのであるが、 これを使えるのと使えないのとでは、十両と前頭筆頭ほどの差があるので ある。この「タットロロン♪」をストレートに多用するのがコージーである なら、意表を突いた応用編でよく使っていたのがボンゾであろう。
 当該アルバムでも、さきほどは敢えて触れなかった、1曲目の"Tarot Woman"、 4曲目の "Do You Close Your Eyse" などはオカズの大部分が 「タットロロン♪」で占められている。ちなみに登場回数を カウントしてみると、いずれの曲でも実に15回に及んでいるのである。 特に "Tarot Woman" などはいきなり「タットロロン♪」5連発で 幕を開け、かつ、途中の箇所でも再び4連発をかます、という大 サービスぶりである。
 通常、我々小市民的ドラマーならば、ここまで同じフレーズを繰り 返し放つことはさすがに抵抗があるわけだが、パウエルクラスとも なると、そのような中途半端な迷いやてらいなど微塵も感じられない。 「タットロロン♪」なら「タットロロン♪」を思いっきり叩き、そして 「どーだ」と言わんばかりにニヤリとするのである(のが目に浮かぶ)。 こちらとしては、どうだと言われても困るわけであるが、まあ色んな 意味でさすがコージーだと再認識するしかないのである。 何にせよ、こうしたシンプルなフレーズを楽器を鳴らし切って無心に 叩くことが、キレのあるパワフルなサウンドを生む大きな要因の 一つとなっていることは言えるのではなかろうか。 この潔さ、堂々とした態度が、甲子園での高校球児の熱い闘いぶりを 見るかのようなある種の爽やかさを我々にもたらしてくれる。 こういうキャッチーなフレーズが多いのも彼の特徴のひとつであろう。

 とにもかくにも、件のドラムソロに続いてテーマリフが始まる わけであるが、これまた様式の中の様式、まさに荘厳というか重厚という 形容が似つかわしい名リフである。さすが、ジミー・ペイジとリフ・ウィザード の名を争うR・ブラックモアならではである。

 一般的に、これだけ大掛かりなイントロで曲が始まってしまうと、 ボーカルが霞んでしまう、という由々しき事態を往々にして招き がちであるが、このR・J・ディオに関してはそのような心配は 全く無用である。歌が始まった瞬間、圧倒的な存在感、パワーで もって周りを睥睨するかのようである。 これまたさすがブラックモアが DEEP PURPLE という世界的 ビッグ・ネームを投げ打ってでも、彼と新しいバンドを組んだだけの ことはある、と改めて納得させられるところである。

 2番に入る前のユニゾン部分で、パウエルがシンバルを空振り しているが、そのまま強引に歌に突入している。このときギターの リズムが若干合っていないようだが、それもお構いなしである。 パウエルは3曲目の "Starstruck" でもミスっていたが、これらを そのまま録音しているところが、緊迫感を高める好結果となっている と愚考する。

 キーボードについては、"Oh, I see his face"から始まる 小サビのバックでボコーダーというかメロトロン的なサウンドが 流れ、いかにもといった雰囲気を醸成するのに一役買っている。 また、歌の2番の"Hot wind〜"の次のリフからストリングス系の シンセが入るのだが、このタイミングが実に素晴らしい。 これにより荘厳ムードは否も応もなく、一気に高まるのである。 お約束的展開といえばそうであるのだが、頭では分かっていても つい体が反応してしまうところが、様式系人間の悲しき性である。 その後全編にわたってシンセがバックで流れており、非常に効果的 であるのだが、楽譜的には白玉流し中心で、弾いてる方は退屈で あるやも知れない。

 ところで、このT・カレイというキーボード奏者は得てして評判が 芳しくないのであるが、個人的な考えとしては彼は結構ヨイものを持っておる のではないかと思っている。ライブ("Rainbow on Stage")に おいても、キチンとツボを押さえたいいプレイをしている。 ただ、リッチーから厳しい教育的指導を受けていたのか、妙に萎縮 して自信なさげなのが惜しいところである。

 なお、このアルバムではキーボードはほぼシンセサイザーだけで、 HRにつきもののハモンド系オルガンサウンドはバッキングの隠し 味程度にしか聴くことが出来ないのは 残念であることを付言させていただく。

 そして曲の方は威風堂々と進み、Gソロになるわけであるが、 その前のブレイク〜ピックアップ時ドラムのフィルで、パウエルが 珍しくカウベルを使用している。全曲を通じてただ一音であるの だが、それが故に非常に効果的な使い方となっているといえよう。
 Gソロは 途中は何を弾いているのか今イチ判然としない、初期DP時代の ブラックモア的である。ソロの最後の部分は逆にスッキリと上手く まとめられている。

 このGソロの後、ブレイクから歌に戻るところのドラムがまた 痺れものである。

「タットン タタタタ タタタタ タットロロン♪」

と、もうこれ以外は考えられないほどのガチガチの様式パターンなわけ であり、ここいらになると聴き手の方は、ただただ呆れる、いや、 感心するばかりである。
 曲の最後の辺り、ボーカルが好きに唄っているバックではなぜか 弦楽四重奏(か八重奏か知らんが)が流れてくる。いかにもリッチー &ディオ好みといったアレンジであるが、個人的にはこの辺りは カットして曲を縮めても良かったのではないかと愚考されるところ である。

 いずれにしても、当 "Stargazer" はやはりレインボウを代表する ナンバーであり、聴くものを圧倒せずにはいられない。また、曲が 終った後の荘厳さは、まるで教会で讃美歌を聴いた後に通じる ものがある(だろうと愚考するが実際は知らない)。

 そして、前曲の重々しい余韻を突き破るようにして、当該アルバム最後の 楽曲 "A Light in the Black" が突然始まる。これまた前曲同様 大曲であるが、曲想は一転してスピーディなものとなる。  テーマリフについては、何ら工夫の跡が感じられないスケール 順繰り下降モノであるわけだが、もちろん個人的にはキライでは ない。いや、むしろ、ツボにぴったりハマると申し上げて過言では ないだろう。

 それにしても、この曲でのコージーのパワーには驚かされる。 イントロから最後まで、ずーっとこんなしんどいパターンを叩き きっているところに、この人の懐の深さを感じざるを得ない。 しかも、彼が使っているセットは、26インチバスドラ・大口径タム のいわゆるHR様式セット(ラディック社謹製)であるのだが、最初から最後まで パワーが落ちることなく抜けの良い音で楽器を鳴らしきっており、 実に爽快なわけである。
 自慢ではないが、私などCDに合わせてスティックを振っていて さえ、最後までもたない(ホンマに自慢ではないですな)。ましてや、 本物のセットなら推して知るべしである。さてはパウエルの奴、 何かキツイのでも打っとるんちゃうか?とつい邪推してしまうのが トーシロ暖気野郎の悲しさである。
 当該曲など質の良い音響装置若しくは ヘッドホンで鑑賞すると、コージーの2バスにより低音部が重戦車の如き 迫力をもって 鳴り響く。J・ベインもなかなか憎いベースラインを弾いたり、結構 活躍はしているのだが、コージーの問答無用のパワーの前には まさに問答が無用となっている。

 この曲についても、ボーカルは冴えに冴え渡っている。R・ディオと いえば、どちらかというと小柄な人なのだが、一体どこからこれだけ の声が出てくるのか、と不思議に思わずにはいられないぐらいである。
 なお、ライナーノーツによれば、歌詞的にはB面2曲は続いている とのことである。『スターゲイザー』の方が、古代エジプトの奴隷が どうたら、暗い絶望の夜空に輝く星がこうたら云々とあって、実は 『ア・ライト・イン・ザ・ブラック』というのが暗闇に点る一条の光である、 ということらしい。が、どうも観念的なお話しであり、実際に歌詞を みても今イチ分からない。我々求道関係者は普段から一部バンドメンバーに より文章の行間を読む訓練を強いられているのだが、それでもピンと 来ないことをここに正直に述べなくてはなるまい。

 また、当該作品ではキーボードがかなり 活躍の場を与えられている。1曲目の "Tarot Woman" でのシンセの 性能テストのようなイントロ以外では、キーボードソロが入っている のはこの曲だけである。あまりに曲が長くて、リッチーがソロを思い つかなかったという噂もあるが、真偽のほどは定かではない。
 ここでも、キーボードはやはりシンセサイザーを使用している。様式 的にはやはりハモンドにご登場願いたいところであるが、この曲には シンセもマッチしているので、わがままは差し控えたい。
 しかしながら、悲しきことに、当時の機械が不安定であったのか、 彼らの音があまりにデカ過ぎて電源系統がオーバーロードであった のか、折角のキーボードソロの途中、ベンディングの部分で電圧が 下がったような状態になり、音程が下がってしまっている。 ボーカルのフラット、ギターのチョーキング不足同様、実に気持ち 悪いことになっているのである。 既に、パウエルのミスがそのまま収められていることについては 言及し、それはそれでスリリングであると指摘したが、今回の場合 は音程が狂っておるのであり、本来なら何をさておいても録り直し すべきところである。 が、それを敢えてスタジオ録音に収めてしまうところが、このバンド のスゴイところであるといえようか。実はリッチーがミキシングの時に 気づかな かったという話もあるようだが、これまた真偽のほどは定かではない。

 当該曲ではキーボードとギターが交互にソロをとり、その前後に ユニゾンで同じフレーズを演奏するのであるが、このフレーズ、 キーボードでは特にどうということもないが、ギターで弾くとなると、 いわゆる複数弦オルタネイトピッキングとなり、これまたとんでも なく弾きにくい代物なのである。 自分がバンドのリーダー なのだから、もっとギターで弾きやすいパターンにしてキーボードに それを弾かせればヨイではないか、と私などは思うわけであるが、そこ はやはり、自己を極限にまで追詰めねばいられない孤高のギタリストと しての自負といったものがあるので あろう。実際のところは、オルタネイト・ピッキングの練習をしていて 思いついたフレーズであるやも知れない。

 とにもかくにも、この "A Light in the Black" は、当該名アルバムの ラストと飾るに相応しく、 パウエルのドーピング的重戦車ドラムを土台と した各パートのサウンドが、渾然一体となって津波のように押し寄せ、 我々を完膚なきまでにKOするのである。演奏者も相当の気合が入って いるわけであり、聴く方も聴く方でそれなりの心構えというか覚悟が必要で ある。

 なお、ボーカルスタイルについてもう少し言及するなれば、 特にどの曲ということなく全般的に言える ことであるが、ハモの付け方が非常に効果的である。DP時代には 殆どハモなど聴けなかったことを鑑みれば、これはやはりR・J・ ディオの功績であろうか。ハモといっても、他のメンバーに唄える 面子がおるわけではなく、ディオの重ね録りなのだが、これがまた 声質が主旋律とマッチしているため(同じ人間だから当たり前だが)、 実に心地良い響きなのである。また、ハモ部分以外でもユニゾンで 敢えて同じ音程を2度録りしているところもあるが、ヘッドホンで 聴いたりすると、一般的には中央の音場に位置するボーカルが 左右から分離して聞こえ、変化があって面白い。中々の工夫である。
 それにしても、このR・J・ディオという人物、ルックス的には銀座 八丁目辺りのさびれた宝石店のママといった面持ちであるが、その実 ボーカリストとしての力量のみならず、アレンジャー、コンポーザーと しても他に比類なきものを有している。さらに、レインボウ脱退後に結成 した自己のバンド「DIO」 では、ほぼアルバム毎にギタリストをチェンジ、それもさして 有名ではない若手を発掘して登用するという、まるでホリプロの スカウトマンのようなことまで手掛けており、まさに八面六臂の 大活躍で各方面に才能を開花させているのである。

 それにしてもこのアルバム、特にB面2曲を通して聴くと、相当程度 疲れるわけである。そもそも、様式に馴染まない人ならば、途中で 聴くのを止めてしまう可能性が非常に高い。そのようなリスクを冒してまで、 自分たちの流儀に則ったスタイルを最後まで貫き通す彼らの楽曲を 聴く際には、敬意を表して例え自宅であっても1曲ごとにスタン ディング・オベイションで応えるのが人の道ではないだろうか。 私もそうしたいのは山々であるが、寄る年波には勝てず泣く泣く 座して聴いている次第である。若い人はご起立スタイルでの鑑賞を 是非実践していただくことを、この名作 "Rainbow Rising" についての愚考察の結語としたい。





名鑑3





B, Vo   :  Geddy Lee
G      :  Alex Lifeson
Ds     :  Neil Peart


MOVING PICTURES / RUSH

ムービング・ピクチャーズ / ラッシュ


 1  Tom Sawyer
 2  Red Barchetta
 3  YYZ
 4  Lime Light
 5  The Camera Eye
 6  Witch Hunt
 7  Vital Signs



 泣く子も黙る孤高の3人組、カナダ国民栄誉賞受賞バンドRUSHの 中期代表作である。中期というより、当該作品と前作 "Permanent Waves" は RUSHの全活動を通じての代表作と申し上げて過言ではなく、事実、彼らの ライブでもこの2枚のアルバムの曲はかなり盛り上がるようだ(もちろん、 他にも "Xanadu" だの、"Closer to the Heart" だのといったお約束楽曲でも 盛り上がる。結局全編漏れなく盛り上がっているわけである)。
 上記2枚のアルバムの楽曲をメインレパートリーとしたライブ盤 "Exit, Stage Left" は、ロック史上に残る名盤と申し上げて差し支え ないであるまい。邦題の『神話大全』というのも、中々のセンスである。

 さて、この "Moving Pictures" であるが、個人的には彼らの作品の 中で最も素晴らしいと感じている。諸先輩方の間では、初期の "2112" こそRUSHらしい、というご高見も多いようであるが、もちろん私と しては聞く耳を有しておらない。まあ、この辺は好みであろう。

 RUSHのサウンドを最も端的に特徴づけているのは、何といっても G・リーの怪鳥雄叫び的ボーカルであることは論を待たない。 彼以前にももちろんハイトーンボーカリストは多々いたわけであるが、 リーの声を絞り出すようなスタイルは、それら先人達とは明らかに 異なる個性的なものであった。 鶏がキュッと締められた時に放つ断末魔の悲鳴と申し上げれば 分かりやすいであろうか、 ともかく、彼の登場によっていわば『ゲディ・リー・タイプ』といも呼ぶべき ボーカルスタイルが確立されたのである。
 爾後、業界関係者の間では 「ゲディ・リーのようなボーカル」といえば、「ああ、あの手のヤツね」と すぐさま理解されるようになり、ISO取得を睨んだ業界の標準化 推進にとって大いなる一助となったいう実しやかな噂もある。

 また、リーのベースもボーカルに負けず劣らず個性的なものである。 彼が使用しているのはリッケンバッカー並びにスタインバーガーという、 いわゆる「ゴリゴリ系サウンド」ベーシスト御用達のシロモノであり、 それをまさに「ゴリゴリ」とピックで奏でるのである(と思っていたのだが、 某高僧よりリーは指弾きである旨ご指摘いただいた。謹んでお詫び&訂正 申し上げます)。一言でいえば、 相当程度テンションの高いベースと表現できようか。
 さらに、彼はキーボードも演奏し、その際にはペダルベース(という のか何というのか知らんが、エレクトーンの足の部分みたいなヤツ) もこなすという、大道芸人も真っ青の八面六臂というか九面七臂ぐらいの 大活躍を見せるのである。
 一部方面からは、「同じくリッケンバッカーを使っている某アマチュア バンドのベーシスト も、これぐらい働いたらどうなのだ」 という声が上がっているようであるが、私自身は微塵たりともそんなことは 思っていないので、お含みおきいただければ幸いである。

 話が逸れたが、RUSHサウンドといえば、A・ライフソンの変態的、 もとい、個性的なギターも忘れるわけにはいかない。このWASP的風貌の ギタリストが紡ぎ出すサウンドは、とにかくメタリックである。メタリックと いっても、ヘビメタ的だというのではなく、文字通り金属的なのである。 SUS304クラスのステンレス鋼材をホブ盤で加工する時の音、と申し 上げればご理解を得られやすいであろうか。
 が、彼のギターが変質者的、もとい、個性的だというのは音だけ ではない。フレーズがまさにそうなのである。 カッティング部分も相当難儀なことをやっているが、ソロなどでは さらに面妖この上ない妙ちきりんなことをやっている。テクニック的 には超弩級ということはなかろうが、聴く分には極めてインパクトの あるフレージングであり、これまたG・リーのベース同様、相当 テンションが高いといえよう。

 そして、RUSHサウンドの土台ともいうべき鉄人N・パート(本当はパート ではなく発音的には "near" と同じということらしいが、ここでは慣れ親しんだパートで通させていただくことにする)の ドラムであるが、これがまた素晴らしい。とにかく、この人のプレイは 全て計算され尽くされているのである。そして、その計算は決して 間違われることがなく、曲、サウンド、他の楽器のフレーズ等々あらゆる要素 を多角的に分析し、局面毎に最も相応しいパターンが作り出されて いるのである。
 とにかく、パターンにしろフィルにしろ、聴いていて 「なるほど」と膝を打つこと多々の、ドラマー諸氏必聴のプレイ 満載であり、非常に勉強になる。

 また、彼のドラムサウンドも実にパンチがあって心地良い響きである。 特にスネアの音はよくチューニングされたハリのある明るいもので、 いかにもバーチ材(だったと記憶するが正確には不明)らしいスカッと した感がある。
 タム類もまさに、キレもあるけどコクもたっぷり的に鳴らしており、 これは相当手首が強い上に、打撃角度もかなり研究しておるので あろうと拝察されるところである。 なお、彼は時としてスネアだけでなくタムについてもリムショットを 使っており、これがまた極めてインパクトの強いサウンドを生み 出している(ポリスのスチュアート・コープランドもやっていた)。
 ドラムのチューニングに関しては、確か専属の人間がついていた ように思われるが、なるほどさすが専門家だけのことはあると頷かせる 音作りである。ピアノでいえば一流の調律師ということになろうか。

 さらに、RUSHの曲ではN・パートが詩を書いているのだが、これが また哲学的というか難解というか、とにかく私のような小市民的衆生 には易しくはないシロモノなのである。  さすがは鉄人ドラマー、伊達にトップシンバルよりデカイ顔を有し、 ボーイ・ジョージとタメを張っておるだけではなく、頭部はキチンと中味も 詰まっているのである。
 なお、彼のライブセットについては、見たことがある方もおられようが、 極めて特殊である。普通のセットとともに、彼の後ろにもうひとつドラム セットが置かれているのである。こちらはエレクトリックドラムで、ソロの 時などに、クルッと後ろを向いて叩くのである。音も効果的であるが、 舞台装置としてもかなりのインパクトを有している。私が彼らのライブを 観に行った際も、ドラムソロではかなり会場が盛り上がっていた。

 こうした個性的なメンバーが作り出すサウンドは、まさに個性的・ 独創的であり、3人という最小ユニットであることを感じさせない密度の 濃いものである。なお、このバンドは英国でも米国でもなく、カナダ産で ある。このことも、彼ら独自の個性を作り出す要因となっていると 愚考されるところである。

 前置きが長くなったが、そろそろアルバム曲の紹介に入ろう。

1 Tom Sawyer

 1曲目は 『トム・ソーヤー』。いきなり濃密な音世界である。初っ端の キッチュなシンセの音を耳にした瞬間、リスナーはRUSH界に無意識の うちに引きずり込まれることになる。何というか、実に奥行きのある 音空間を感じさせる。
 以前、麻雀漫画で「亜空間殺法」などという訳のわからない技があったが、 この曲のイントロはまさにそんな感じで、極めてインパクトの強いスペーシーな サウンドをもって、一撃必殺的に聴く者を魅了するのである。

 当該曲でのドラムの刻みは実にカッコよい。いわゆる片手16ビートで あるが、このスピードとなると結構キープするのは難しいにも係らず、鉄人は 実にシャープに刻み、かつ、バスドラが重々しく決まっている。

 ところで、歌であるが、歌詞カードによれば出だしの部分は実際には

 "A modern day warrior mean mean stride.  Today's Tom Sawyer mean mean pride."

と唄っているらしいのだが、聴いているこちらの耳には、とてもそうとは 聞こえない。
 大体、米国人以外の国の人が話す英語は聞き取りにくいのが常であるが、 このG・リーなどその最右翼であると申し上げて差し支えなかろう。 ちょっと故カレン・カーペンターを見習って分かりやすく唄っていただき たいものである。 とともに、ドリーム・シアターのジェイムス・ラブリエ氏にも同じことを さらに強く申し上げたい(同氏は米国人であるが)。
 などと、グダグダ言うてはおるものの、実際は私自身のリスニング能力が 著しく低いだけであって、他の人にはちゃんと歌詞通り聞こえているという 可能性が著しく高いことは否定できない。

 それはともかく曲の方であるが、リーが一唸りした後、出だしから2つ目の パターン、

 (ジャジャンジャジャーン × 4) × 2

の部分のドラムがこれまた非常にカッコ良い。 具体的にはジャジャンジャジャーンの次のバスドラパターンの変化であり、 シンプルなものから段々複雑なものへと音数を増やしていくという、まるで 一連のストーリーを語るかのような形となっている。 こうした辺りがまさに計算し尽くされたドラミングであり、鉄人の鉄人たる 所以であろう。

 また、その次に来る

 ジャーンジャーンジャン ジャーンジャジャジャン

の部分については、曲を通じて何度か出てくるのだが、登場する毎に パターンを変えており、そのいずれもが強いインパクトを有する素晴らしい ものとなっている。

 なお、さいぜんからジャジャーンだのジャンジャンだのという表現を用いて おり、曲を知らない人には全く分からないであろうと思われるが、そこの ところは行間を読んでいただくということでお含みおきいただきたい。 まあ、そもそも当該アルバムを知らない人がここまで読み進むことはおそらく ないものとは思われるため、気にしないことにさせていただく。

 2番に入ってシンセが絡んでくる辺りのハイハットオープンも実に切れが あってカッコよい。譜面的には特にどうということもないプレイであるが、 パートの手にかかると聴いているだけで身が切れそうなほどのシャープさと なるのである。

 曲はつつがなく進んでGソロとなる。まさに変態、もとい、個性派 ギタリストA・ライフソンの真骨頂が如何なく発揮される部分である。 次々に繰り出されるフレーズはまさに面妖なシロモノであり、まあ普通は こんなん弾けへんやろ的なものばかりである。彼は一体どうやってソロ パートを組み立てているのであろうか・・。
 また、このGソロ部分についてはリズムが結構難しい。ちゃんと符割をすれば 超難しいということはなかろうが、ちょっと聴く分には割と難儀な変拍子に 聞こえる。私などはしょっちゅうビートを見失っているが、敢えて探すような 無粋なことはせず、音の流れに身を任せている次第である。
 ここでもN・パート御大は大活躍である。3人バンドのGソロ部分で ありがちな、ドラマーがやたらめったら手数・足数を多くして音が薄くなる のを防ぐといったことはなく、リーの力強くうねるベースとしっかりシンクロ ナイズすることにより主として低音部の厚みを増強している。また、決めの 部分に入る箇所の実に切れのいいフィルは見事のひとことに尽きる。

 Gソロに続いて大バースがあるのだが、ここの間をまたまたパート先生が 上手いこと埋めている。こうした意表をついたフレーズは、我々衆生には 中々考え付かないものであり、例え考え付いたとしてもおいそれとは実行 できないものであるが、大先生は果敢に実行され、そして実にカッコよく 決めておられる。

 続く部分は前に出てきているパターンであるが、演奏の方は段々派手さを 増している。実にメリハリの効いた華やかなな響きである。ボーカルについては 最初から怪鳥のままであるものの、こちらも若干ボルテージが上がってきて いるように思われる。
 その怪鳥の一叫びの後、曲は最初のフレーズに戻ってFOのエンディング を迎えるのであるが、ことここに至っても彼らは普通には流さず、リズム パターンを変化させたりして、最後までオーディエンスをもてなしてくれる。
 ちなみに、当該曲は部屋を暗くし、パソコンのスクリーンセイバーを「宇宙 飛行」にセットして、それを眺めながらヘッドホンで鑑賞すると、まさに宇宙を 飛行するかのごとき雰囲気に浸れる。ちょうど、スター・トレックの宇宙船 エンタープライズ号がワープ航法で推進する際の感じに似ているで あろうか(乗ったことあるんかい)。

2 Red Burchetta

 2曲目は『レッド・バーチェッタ』、邦題もそのまま「赤いバーチェッタ」 である。 が、バーチェッタが赤いなどと言われても、そもそもバーチェッタ自体が どういう意味であるのか分からぬ、かつ、それを調べるほどの熱意のない 私のような暖機者にとっては曲の歌詞的なコンセプトは理解できないわけで あるが、それが当該楽曲を鑑賞する上での妨げになっておるとは特に思われない。

 イントロ部分でのハイハットはジェフ・ベックの"Blue Wind"に似ている。 というか、全く同じである。が、メロディと違ってハイハットのパターンにまで 著作権云々というほどガメツイ輩がおらんためか、現在のところまで特に問題 とはなっていないようである。
 まあ、そもそも、そんなことを言い出せば、ごく普通の8ビートを刻む際にも いちいち著作権料を支払わなければならなくなってしまうし、ましてや タットロロンなど言わずもがなであるので、そこは互助の精神で運営されて いるのであろう。

 このバーチェッタは一言でいえば、重々しい前曲と対照的に明るい乾いた 曲調である。テンポにしてもかなりアップなものであり、見事な好対照をなして いる。いうなれば、小粋なロードスターが高速道路を走るかのような、颯爽とした軽快感がある。
 この曲についても演奏面に関しては彼らならではの様々な仕掛けが散りばめ られており、聴く者を魅了させずにおかない。それでいてR&R調のタイト感を 失わないのはさすがである。

 Gソロについては、ライフソンにしては結構オーソドックスなプレイで あるやに感じられる。曲調が曲調なので、いつもの変態スケールはやめて おこうという思慮が働いたのやも知れない。が、そうした控えめなギタリストと 背反するかのように、リズム隊は相当凝った演奏を披露している。テンポが ストレートな4分の4でないことも相俟って、非常にインパクトの強い刻みと なっているのである。ベースとドラムが見事にシンクロしており、ハッキリ 言ってソロをとっているギターより印象が強い。哀れライフソン、である。

 曲のエンディングにおいてイントロと同じパターンに戻る部分で、リーが さりげなくベースでオブリガードを弾いているのだが、時間的に短いものの これが中々強烈な印象を与える。また、パートもそうしたベースに触発された のか、色々と技を見せている。が、他方、ライフソンはといえば、イントロと 同じパターンを淡々と弾き続けており、他者の引立て役となってしまっている かの感がある。また若干の哀れみを感じないではない。

3 YYZ

 続く3曲目、前曲のフェイドアウトの余韻が残るようなベルの音色を 突き破るかの如く不安定な音階(ドと#ファ)によるリフをもって、当該 アルバム真打ち的楽曲である『YYZ』が登場する。
 個人的にはインストナンバーながらこの曲が彼らの真骨頂・最高傑作であると 認識している。テンションの高いリフ、スピード感・スリルに満ち溢れた リズム等、どこをとってもカッコ良いわけである。あまりのカッコ良さについ コピーしてしまうアマチュアバンドは数多いが、大抵の場合原曲とは似ても 似つかぬシロモノになってしまうという由々しき事態が起こりがちであるようだ。

 イントロのギターは、BOSSの往年の名機ビージーでも使っておるのでは ないかと推察されるファズっぽい歪みを有する音であるが、曲調には中々 マッチしている。出だしからしばらくはリーがシンセを弾いており、ベースは 入っていない。そしてイントロの最後の部分でベースが参加するのであるが、 ここで一気に音に厚みが出て実にインパクトが強い。

 テーマリフはギターとベースのユニゾンであるが、一糸の乱れもなく決まって おり実に心地よい。ギターはともかくとして、ベースでこれをあのように流麗に 弾くのは相当しんどい作業であると思われるが、さすがはリーである。 なお、この部分ではドラムは比較的シンプルなパターンに抑え(とはいえ、バス ドラのパターン等然るべく工夫がなされているが)、テーマリフを 浮かび上がらせている。
 続いてライフソンが例によって妙なセカンドテーマを弾くのであるが、ここの ベースラインがまたまたギターを食うほどにカッコいい。一言でいえば、ベース が歌っているのであり、タイプは全く異なるがアルフォンソ・ジョンソンの ようなしなやかさが感じられ、ひょっとしたらこの人はファンクなどを 弾かせても上手いのではないかと拝察される。 そして、ドラムはメインテーマ部分とは異なり、 トップシンバルを強調した派手なパターンを叩き、刻みを目立たせている。 能天気なギター、しなるベース、きらびやかなドラム、という三権分立的 アンサンブルの妙により、実に味わい深いサウンドに仕上がっているやに 愚考される次第である。
 そして次に来るのがベースとドラムのソロのかけ合いであり、これは かなり意表を突いた展開である。通常ならばここでGソロとなるであろうが、 そうはすんなりと問屋がおろさないのが彼らの彼らたるところであり、 リスナーの興奮をいやが上にも煽ってくれるところでもある。
 このかけ合いで感心させられるのがN・パートの基礎テクニックの 確かさである。具体的には2つ目のドラムソロで、6連符6連符4連符と 回して、最後に16の裏のタイミングでクラッシュシンバルを入れている ところである。4→6連符のチェンジアップでも結構テンポを取りづらい ものであるが、ここでは逆にチェンジダウンしているわけで、かつ、16の 裏で締めるとなるとこれはかなりキツイ。さらにいえば、これらをスピーディ にスネア〜タム〜スネアと正確無比にキレ味鋭く回してのことである。 が、それ故に決まった時のカッコ良さは相当程度のものがある。 このフィルに限ったことではないが、パートの 凄さは譜面的には決して超難解ではなく、聴く分にしてもついコピーして みようかな的でありながら、実際にやってみるとトーシロでは全く上手く いかないプレイをさらりとやってのけるところである。

 このかけ合い部分ではそれぞれのソロの前にB→Cという単純なコードの 繰り返しが入るのであるが、ここの部分でのライフソンのギターはある意味 スゴさを感じさせるほどの開き直った弾きっぷりである。バックで色々な パターンを 職人芸的に聴かせるリズム陣に対抗し、ライフソンもカッティングを変え たりして工夫してはいるのだが、哀しい哉、感じられるのはイモっぽさであり、 下手をすればアリスの堀内孝雄、もう一歩頑張ったところでアルフィーの 高見沢辺りを彷彿とさせてしまうと感じるのは私だけではあるまい。

 件のベース・ドラム掛け合い終了後に来るのはGソロである。ここでの ライフソンはハッスルしている。やっとオレの出番とばかり、彼得意の 変態スケールに基づくきらびやかなプレイを展開しており、中々の好演と 申し上げて差し支えなかろう。この曲では珍しくリズム隊は比較的大人し目 の演奏に終始している。リーの方は若干暴れ気味のしなやかさを見せている ものの、パートのドラムがそれに呼応することなく粛々と進行しているので、 リズム全体としては割と落ち着いた感がある。まあ、これはあくまでRUSHと してはとうお話しであり、通常のバンドであればギターとベースのツインソロ といってもおかしくはないレベルであるのだが・・・。

 曲の方はGソロの後、大バースを経てメインテーマに戻る。2回目のテーマ 演奏においても、パート先生は例によって例のごとく前回と同じパターンを 繰り返すことなく、随所にカッコいい技を散りばめて聴衆にサービスを提供 してくれる。ライブにおいては、当該楽曲の途中でドラムソロが入って気が 抜けてしまうためか、さすがの鉄人もこの辺りではビートが乱れており、人間味があって微笑ましく感じられるのだが、スタジオ盤においてはもちろんそういった ことはなく、最後まで鉄人のままである。
 とにかく、当"YYZ"はROCK史に残るインストナンバーとして燦然と輝く名作で あることは間違いないであろう。

4 Lime Light
5 The Camera Eye
6 Witch Hunt
7 Vital Signs

 続く"Lime Light"以降はアナログレコードでいうところのB面となるのだが、 なるほどやはりB面楽曲であるわいと納得させらるところである。もちろん、 4曲それぞれ、それなりに味わい深い作品であり、プレイ的にもキラキラと 光るところも多々あるわけであるが、私としては前半3曲、特に"YYZ"の後に これらを聴かされても、それほど印象強くないというのが正直な心情である ことを激白せねばなるまい。むしろアルバム構成として、前半3曲と後半4曲 とが交互に織り交ぜてあれば良かったのではないかと愚考されるところである。 実際、B面4曲については未だに曲名と実際の 曲が頭の中で一致していないのである。中には"The Camera Eye"という11分に 及ぶ組曲的大作もあり、大作好きである私の琴線に若干触れたりする部分も あるのだが、それでも長々と愚考察を述べるほどの気にはならないのである。 この辺は個人的嗜好ということで、サラリと流させていただく。
 まあ、世の中には好事家によるRUSH関連サイトは数多くあり、その中では これら楽曲の評価も相当程度に高く、キチンとした解説もなされているので 詳しくはそちらに譲ることとしたい。

 後半4曲についてはともかくとして、全体的にいえばこの"Moving Pictures" は名盤中の名盤であり、私に言わせれば前半3曲だけ(正確に言えば、 "Tom Sawyer"と"YYZ"の2曲)でその地位を揺るぎないものとしているので ある。全くもって侮れないバンド、楽曲といえよう。
 今回作品を聴き直してみて、やはりパートのドラムは実に工夫されている ことが改めて認識された。どの曲でもそうであるが、1番、2番、3番と あれば、漫然と同じことを繰り返すのではなく、さりげないパターンの変化や、 トリッキーな大技を入れる等々、様々なバリエーションで聴く者の心のひだを 打ってくれる。
 また、バンド全体のサウンドとしては"間"が上手く使われているとも感じ られるところである。間の使い方が上手いといっても、FREEのスカスカ的な 味ではなく、もっと立体的であり、言い方は変であるが厚みのある間と言え ようか。中々上手い表現が出来ないが、まあ、この辺は分かる人には分かると させていただこう。彼らについてはよく使われる「トリオとは思えない重厚 さ」という形容は確かにそうであるが、その一方で間を上手く使うことに よって重厚な部分がより一層クローズアップされているのではないかという のが、私なりの愚察である。もちろんアレンジについても重要な要因となって いることは異論なかろう。
 活動歴も四半世紀に及びすっかりベテランとなり、トリビュートアルバム まで制作されてりる彼らであるが、もちろんまだまだ現役バリバリ選手である。 下手に殿堂入りとなることなく、一ファンとして今後ともさらなるご発展・ ご活躍が望まれる次第である。








名鑑4





Vo   :Klaus Meine
G    :Ulrich Roth
G    :Rudolf Schenker
B    :Francis Buchholz
Ds    :Herman Rarebell


TOKYO TAPES / SCORPIONS

(東京テープ/スコーピオンズ)


 1  All Night Long
 2  Pictured Life
 3  Backstage Queen
 4  In Trance
 5  We'll Burn the Sky
 6  Suspender Love
 7  In Search of the Peace of Mind
 8  Fly to the Rainbow
 9  He's a Woman, She's a Man
10  Speedy Coming
11  Top of the Bill
12  Hound Dog
13  Long Tall Sally
14  Steamrock Fever
15  Dark Lady
16  荒城の月
17  Robot Man



 登場するべくして登場したバンドの、登場するべくして登場した作品である。 様式美といえばスコーピオンズ、スコーピオンズといえば悲壮感、であり、 世の中に様式大賞などというものがあれば、このバンドとジューダス・ プリーストがダブル受賞間違いなしというほどの、ガチガチ様式集団である。
 今となってはスコーピオンズというバンドも世界的ビッグネームであり、 米国においても大統領の名前は知らなくてもスコーピオンズは知っている というほど有名であるらしい(ホンマか?)。が、それは今となっては、の お話であり、デビューしてからしばらくの間は、マトモに聴かれていたのは 本国ドイツ並びに日本のみ、という様相を呈していたようだ。
 では、なぜ彼らの楽曲が日本で受け入れられたのか、という点に関して考察を 試みるに、スコーピオンズサウンドの特徴として、(1)哀愁を帯びた メロディ、(2)泣きのギター(眉間にしわを寄せて目をきつく瞑る動作を 伴う)、(3)全編に漂う悲壮感、(4)期待通りのところで 入るシンコペーション、(5)どこかアカ抜けないイモっぽさ、といった ことが挙げられるのだが、これはまさに演歌・軍歌の世界であり、こうした 要素が日本人の心のひだを打つのではないかと愚考される次第である。 (2)の泣きのギターについては、演歌には必ずしも該当しないでは ないかというご意見もあるやも知れないが、これはギターをビブラートと 読み替えればご理解いただけるのではないだろうか。
 まあ、実際に彼らが日本の演歌を意識してヨナ抜き音階(オクターブの4番目 と7番目の音、即ちファとシを使わない)で曲を作っていたことはあるまいが、 ひょっとするとドイツにもヨナ抜きに相当するモードが存在するのやも 知れぬと愚考に愚考を重ねている次第である。
 こう考えると、同じ様式美の権化でもジューダスはスコーピオンズとはやや 趣を異にする感がある。ジューダスの場合は演歌というよりはむしろ賛美歌 系ではないかと、さらに愚考を重ねる次第である。やはり演歌系HRといえば このスコーピオンズの他にはMSG(マイケル・シェンカー・グループ)が 挙げられるであろうか。
GOD Bless Schenker Brothers!である。

 さて、時候の挨拶はこれぐらいにして、当「東京テープ」について 触れると、 彼らに関しては私は比較的無知で あるのだが、当該アルバムは70年代後半の 初期スコーピオンズとしていわゆる脂の乗った時期のものであるらしい。 メンバーもボーカルに 「クラウス・ステージ毎に額が1ミリずつ広がる・マイネ」、ギターに 悲壮感の帝王「ウィリッヒ・そんなツラそうな顔して弾くなよ・ロート」、 並びに悲劇のギタリストである「ルドルフ・だって弟の方が上手いんだもん・ シェンカー」、という黄金というか黄金イカ的(意味不明)なライン アップである。
 もちろん彼ら以外にもベーシストやドラマーもいる。前記3名ほど派手 ではないものの、意外(と言っては失礼か)にもシッカリした演奏を 聴かせてくれる。 特にフランシス・ブッフホルツ(で合っているのか?)のベースに関しては 相当程度の好プレイであり、バンドの礎となって各楽曲を引っ張っている やに愚考される次第である。当時のバンドとしては、ベースの音がかなり キレイに前に出ている方であろう。
 なお、ここで紹介する当該アルバムはCD盤であり、収録時間の都合と やらで、LP(2枚組)から数曲削られているとのことであるが、さすがの 私も今からLPとアナログプレイヤーをゲットして・・・とはいかないため、 手元のCDを基にお話しを進めさせていただく旨ご了承願いたい。  さらに付言するなれば、ジャケットデザインについても、当初のものとは 異なるものである旨も重ねてご了承願いたく存じる次第である。

1 All Night Long

 正式にはスタジオ版が存在しないという楽曲らしい。幕開けに相応しい シャッフルナンバーであり、素直に乗せられる。と述べたものの、実際素直に のれるかどうかは、マイネの鼻声的音声に対する好みに大きく左右される。
おそらく彼の個性的な声質は好き嫌いがハッキリ分かれる類のものであり、 これに拒否反応が出る人は、当該アルバム(というかスコーピオンズという バンド)を鑑賞することは耐えられないであろう。
時々U・ロートが唄って いるナンバーもあるのだが、数でいえばごく少数であるし、こちらの方もまた 別の意味で耐え難い、といった意見も多い次第である。まあ、別に音楽の 授業ではないのだから、そもそも無理して拝聴奉る理由もないのであるが・・。
もし私にビル・ゲイツ並みの資産とビル・クリントン並みの暇があれば、国立 (くにたち)様式音楽学校を設立して、この手のジャンルをメインの教材に 据えるであろうが、その実現可能性は極めてゼロに等しいため、マイネ声 嫌いの衆生も安心めされたい。

 そうした妄想はさておき、当該楽曲はドラムの3連オカズから入って ベースとのユニゾン&小気味よいギターのリフという、まさに黄金律的な オープニングで幕開けとなる。もうこの件を聴いただけで、様式な人であれば 我が意を得たりというか、水を得た魚というか、とにかく己の小宇宙に ドップリと浸れること必至である。イントロの後半、うねりながら盛り上がる ギターも実に心地よい。
 そして歌に入って件の鼻声ボーカルが響き渡るわけである。私などは最初 これを 聴いたとき、風邪気味のR・J・ディオがゲスト出演しているのかと勘違い したものだが、もちろんそういうわけではなく、これがK・マイネの地声 なのである。まあ、私とて別にこの声が大好きというわけではないのだが、 特に気にはならない。個性の範疇として十分受け入れられるレベルであり、 おかげで彼らの作品を鑑賞できることを改めて神仏に感謝申し上げる次第である。声質でいえば、個人的にはオジー・オズボーンのボーカルというのはどうも いただけない。何となく軽いのである。ついでにいえば、サザンの桑田並びに ユーミンの声も好きではない。
 そんなことはともかく、この曲を嚆矢として当該 アルバムにはシャッフルナンバーが多いのが特徴といえるであろうか。 やはりシャッフルというのは、様式楽曲の一形式として欠くべからずの ものであるやに改めて愚考される次第である。

 この一曲目が終わった後MCが入る。例によって例のごとく、会場の衆生は 外国人が何を言っても「ぅおー」と吠えるだけで、その内容は理解していない 様相を呈しているが、マイネが突然日本語で「オゲンキデスカ」と叫ぶと、 さすがにこれは理解し得たらしく、「ぅおー」が一段と大きくなる。 マイネ一流のサービス精神であろう。

2 Pictured Life

 2番目の当該楽曲は、まさに演歌調で始まる。スコーピオンズ節炸裂である。 イントロのギターの 泣きっぷりは、まるで場末のキャバレーをドサ回り営業している売れない 演歌歌手の魂の叫びのように聴く者に訴えかけてくるものがあり、 ひょっとすると このU・ロートというギタリストも、ハンブルグのビヤホールなどでそういう 下積み生活を長くしておったのではないかと愚考されるところである。 興味がある人は伊藤正則氏辺りを通じて確認してみてはいかがであろうか。
 ボーカルの方も例によって演歌丸出しなわけであるが、この曲に関して いえば、ギターが主役であるかの感がある。オブリガード、ソロ、どこを どうとっても演歌一直線であり、着流しでも着用してプレイしておるのでは ないかと思われるほどである。メロディアスと評されるロートの真骨頂と いうところであろうか。
 この曲など、楽曲の出来自体としては一流とは決して言えず、どちらかと いうとイモい、ダサい部類に入るであろう。サビの部分などその最たるもの である。が、とにかく「聴かせる」のである。私なんぞは、イントロの ギターを耳にした瞬間から、イモっぽさを認識しつつも、体の方は否応も なく彼らの世界に引きずり込まれる。それはもう、まさにスコーピオンズ マジックとでも表現すべき抗い難いフォースなのであるが、別に最初 から抗うつもりなど毛頭ないので何の抵抗もない。

3 Backstage Queen

 典型的な佳作である。曲調は割と明るめであり、ここまでの進行からすると やや無理のある展開という印象を受ける。この曲ではドラムがハイハットの オープンを多用しているのだが、これがキレが甘くて耳障りである。 やるならやるで、もっとしっかり踏んだらんかいと、己のことは棚に上げて 愚考される次第である。ギターに関しても、キーがメジャーなせいもあって、 ソロなどいつもと違って今ひとつスムーズさに欠ける感があるが、エンディング 近くはなかなか好プレイでまとめている。まあ、全体的にやはり佳作は佳作と いったところであろうか。

4 In Trance

 当時の彼らの代表的ナンバーであるらしい。最初ギターのアルペジオを バックにしたバラードから入って、途中からフルバンドで盛り上げるという お約束的ドラマチックな展開を有する楽曲であり、会場の方もこれまた 義理堅くお約束通り盛り上がっている。
 歌の出だしは演歌路線HRの帝王の名に恥じないシロモノであり、私などは 演歌を通り越して五木の子守唄辺りを思い浮かべてしまう。 この物悲しさは人生の試練を経た者にしか出せんかも知れん、と寒い駄洒落を つい飛ばしてしまうほどであり、やはりロート同様マイネも下積み生活が 長かったのではないかと愚考される次第である。それはともかく、この曲では 数少ないハモが挿入されているのであるが、これがなかなか効果的であり、 琴線を大いに刺激してくれる。

 ギターソロがまたいい。こぶしを利かせてうねるメロディは、全く無理の ない展開である。今日びのギタリストはともすればトリッキーなプレイを 好みがちであり、それはそれでスリリングであるのだが、そうした昨今で あるが故に、このロート節はどこか人の心を和ませてくれるものがある。 言うなれば、都会の摩天楼から夜景を眺めながらも、ふと故郷の千曲川の せせらぎを思い出すがごときである。尤も、私は関西の出身であるので、 実際の千曲川がどんな様子であるかは全く知らない点、お含みおき いただければ幸いである。
 途中バックの演奏が消え、ボーカルだけになる部分があるのだが、この 繰り返しでマイネが会場のオーディエンスに歌わせている。まるで、 「おかあさんといっしょ」のファミリーコンサートのような風景で微笑ましい。
 この後仰々しいギターリフをバックにマイネが「Ah-Ah-」と仰々しく 高らかに唄い上げるのだが、ここら辺りまで来るとあまりに様式にカッチリ はまった展開に、聴衆ともども会場は高揚感・一体感が極限に達する。 それはもう 予定調和の桃源郷とも言うべき世界を呈するわけであり、風呂上りの火照った 体にキリッと冷えたビール又はフルーツ牛乳を流し込むかの至福感である。
 そして楽曲の方は仰々しいままちょっとしたGソロを経て、厳かに エンディングを迎えることとなる。最初から最後まで彼ららしいテイストに 満ち満ちており、まさに代表曲の名に恥じない逸品であるといえよう。

5  We'll Burn the Sky

 前曲同様アルペジオギターとボーカルで始まる。リズムが刻まれ出して からは、こちらの曲の方がアップテンポではあるが、曲調というかイメージ はほとんど前曲と同じであり、ここまで似たようなシロモノを連続して やらんでもいいのではないかと愚考されるところである。個人的には悪くない 作品だとは思われるものの、ハッキリ言ってよほど注意深く聴いていなければ いつ曲が変わったのか分からん程度のインパクトというのが、正直な ところである。

6  Suspender Love

 6曲目は一転して能天気なメジャーキーのナンバーとなる。レベル的には 佳作であろうが、サビの部分のクロマティックな展開の面白さなど、私と しては結構好感を 抱いている。この曲ではマイネの鼻詰まり感が一層ひどくなっており、 歌に入ってしばらくしてからの「Ah-Ha-」という部分などは、松田聖子も 降参せざるを得ないほどのものとなっており、さすがの私もちと聞き苦しい ほどである。それはともかく、当該楽曲のエンディングはいただけない。 全く何の 工夫も感じられず、高校の文化祭に出演しているアマチュアバンドでやって いそうなシロモノであり、実に残念である。

7  In Search of the Peace of Mind

 特にどうということもないバラードである。

8  Fly to the Rainbow

 10分近い大作である。といっても後半は曲想がガラッと変化しており、 その意味においては組曲的な構成となっている。個人的には前半部分だけに しておいた方がベターではないかと愚考されるところであるが、彼らなりの コンセプトがあったのであろう。
 イントロはツインリードで始まるのだが、これまたまさに様式中の様式、 実に共感しやすい分かりやすさを持ったテーマである。二人のギタリストが 背中合わせになって悲壮感をまき散らしながら弾いているのが、目に浮かぶ ようである。 イントロはスネア頭打ちで割とアップテンポであるが、歌に入ると若干変わった リズムとなり曲調に変化を与えている。
 件の後半であるが、結局ここでは何がやりたいのか私のような衆生には 理解が出来ない。ダラダラしたリズムをバックに、ロートがダラダラと ギターを弾き、ダラダラと唄い、最後の最後にはアームプレイを1分ほど 繰り広げており、実に退屈な展開である。まあ、ジミヘンフリークのロートの 個人的コーナーということであろう(ジミヘンならもっと緊張感があるが)。

9  He's a Woman, She's a Man

 ここへ来てまたシャッフルナンバーの登場である。当ライブ盤では5分を 超えるプレイとなっているが、曲本体は3分半ほどである。曲の前にちょっと したインストをくっつけたような感じとなっている。

 テーマリフは三連符を多用したありがちなシロモノであるが、全員がこれを キッチリ合わせるのは結構困難ではないかと思われるところをソツなく まとめ上げているのが、このバンドのすごいところである。その大きな立役者 となっているのがベースのブッツホルツである。実にドライブ感溢れるプレイ であり、曲をグイグイと引っ張っている。他の曲でも同じことが言えるのだが、 当該楽曲における力強さは、まるで機関車トーマスのようである。
 ボーカルについては前曲でちと喉を休めたためか、この曲では相当程度な ハッスルぶりを見せている。マイネにしては珍しくシャウト連発であり、 いつもの演歌っぽさはあまり感じられない。
 Gソロの前でドラムだけになってリズムを刻んでいるのだが、ハシって いるようなストレートビートになっているような、曖昧模糊さが感じられる。 ひょっとするとベースと一緒でないと演奏できない、などという致命的な 欠陥を有するのではないかと愚考されるところである。KISSの「デトロイト・ ロック・シティ」も同じような展開であるが、ピーター・クリスはもっと カッコよかった。
 ギターソロについては特にどうということはなく、ちょっと何を弾いて いるのやら分かり難いシロモノであるが、その後のサビの繰り返しの オブリガードは秀逸である。よくムード歌謡などで扇情的なサックスが ボーカルと絡んでいる例があるが、ちょうどそうした感じであろうか。

10  Speedy Coming

 ともすれば佳作の一言で終わってしまう当該ナンバーであるが、ギター プレイは中々のものであるやに感じられる。ただ、ボーカルについては Aメロ部分は結構カッコいいのだが、サビが何となく尻つぼみとなって しまっているかの感がある。もうひとひねり欲しかったところである。 全体として曲自体は特に悪くはないと思うものの、演奏がやや粗雑で あるやに思われる。

11  Top of the Bill

 これといった特徴がない楽曲であるが、ドラムソロが含まれている点が 特徴といえば特徴であろう。が、このドラムソロが実にいただけないシロモノ なのである。このレアベル(と読むのか?)というドラマー、リズムは しっかりしており、ベースとともに磐石のビートを刻んでいるところなど、 相当程度にポイントが高いのであるが、このソロがそれらの好イメージを 見事に粉砕してくれる。ハッキリ申し上げて、このソロならやらない方が よほどマシであり、特に後半のジョージ川口のような2バスドコドコを披露 するに至っては、聴いているこちらの方が赤面してしまうほどである。 と、散々コキおろしているが、まあ曲全体としては可もなく不可もなくと いったところであろう。

12  Hound Dog
13  Long Tall Sally

 ライブ本体の最後に付加されたサービス楽曲である(次曲以降は アンコール)。この2曲がメドレーと なっているのだが、オールディーズを知らない若い世代であればひとつの 曲と思ってしまうやも知れない。
 演奏自体は水準が高く、ちょっとハネた感じのビートなど実に旧き良き 時代のR&Rらしい。全体的なまとまりもさすがであるが、マイネのボーカル、 ロートのギターもまるで己が作った曲のように、しっかり自分のモノとして いる感がある。こういうところで、プロ又はプロと見なされる方とアマチュア 又はアマチュアと見なされる人との差が出るのであろう。

 それにしても1曲目でちょっとした挨拶が入った後は、ここまでMCらしい MCなしである。これだけの重量級楽曲を連続して演奏し続ける彼らのタフさに 対して改めて敬意を表するとともに、やはりどんな仕事でも体が資本であると いうことを再認識させられるところである。

14 Steamrock Fever

 ここからはアンコールとなる。そして、ここへ来てようやく登場するのが 当該楽曲である。この「Steamrock Fever」とUFOの「Doctor,Doctor」、 そして MSGの「Into the Arena」は、3大様式シャッフルナンバーと称されて然る べき名曲であり、オペラの世界3大テノールに匹敵する価値があるやに愚考 される次第である。もちろん、ディープ・パープルやレインボウその他諸々の バンドにも名シャッフルナンバーはある のだが、こと様式という側面に照らせば前記3曲が挙がるのではないかと 愚考に愚考を重ねている次第である。
 かように思い入れのある「Steamrock Fever」であるが、まあ冷静に聴けば 妙なクロマティック的展開を有する捉えどころのない楽曲といえようか。 しかしながら、個人的にはイントロから歌に入った辺りで、熱いものが 込み上げてくるのを禁じ得ない。私としてはこの曲が彼らの代表作であり、 最も彼ららしい作品であるやに認識している。ギターとベースが渾然一体と なって紡ぎ出す重々しいリフ、スケール練習のような展開、曲を通して ほとんど 鳴らしっぱなしのツーバス等々、様式HRの教典とも言うべき要素が散りばめ られており、往年のアマチュアバンドの多くがこの曲をコピーしたのでは ないかと愚考されるが、歌える奴がいなくて断念したバンドもまた多かろうと 愚考を重ねる次第である。
 歌の出だしはこのバンドのボーカリストにとって明らかにキーが低い。 あまりの低さにマイネは結構メロを変えて唄っているが、これが却って 中々の好パフォーマンスとなっている。反面、サビに入る直前の咆哮は そこまでのウサを晴らすかの如く、空高く舞い上がっている。キー的にも ここからメジャーとなるので、変化があってよろしいやに思われる次第である。
 さて、当該楽曲では珍しくGソロがない。この決断は見事であり、英断と 申し上げて差し支えなかろう。この、いかにもソロを入れやすそうな曲で 敢えて入れず、バンドは一丸となってリフマシーンとなる ことにより、ボーカルを盛りたてており、それによってリフと歌とが より鮮明に印象づけられているのである。何とかのひとつ覚えよろしく、 とにかくGソロがないと収まらないといった、あまちゃんレベルのバンド には中々出来ることではないだろう。

15 Dark Lady

 アンコール2曲目もシャッフルが続く。"In Trance"〜"We'll Burn the Sky" のところでも述べたが、なぜか彼らは同じタイプの曲を続けて演奏する癖が あるようだ。
 この曲ではロート(と思われるが定かではない)とマイネが交代でボーカル をとっているのであるが、 ハッキリ申し上げてマイネ単独で唄った方がはるかにヨイのではなかろうか。 少なくとも私のような縁なき衆生にはこの効果のほどは分からない。 なお、サビにおけるマイネの吠えっぷりは見事である。
 さて、歌はさておき、ギターの方はロートも頑張っている。また、 ここではロートのみならず、シェンカー兄もイイ仕事をしており、THIN LIZZY ばりのツインを聴かせてくれる。

16 荒城の月

 アンコール第2弾はこの曲で始まる。古今、日本の楽曲がカバーされた ことは数あれど、これほどまでにジャパネスクであったものがかつてあった であろうか。少なくとも私は寡聞にして存じ上げない。ハッキリ言って、 私を含めた今日びの 日本人よりマイネの方がよほど曲を深く理解して唄っているやに感じられ、 瀧廉太郎先生も草葉の陰で感涙にむせんでおられるのではなかろうかと 愚考される次第である。
 ちなみに、この荒城の月はオクターブの第7音が出てこないらしい。即ち、 先に触れたところの「ヨナ抜き音階」に近い旋律を有しているのであり、 日本の楽曲の中で「ぞうさん」や「てふてふ」ではなく 彼らがなぜこの曲を選んだかその理由が分かろうというものである。
 それにしても、歌もさることながらマイネは日本語の発音もかなり上手い のではないだろうか。こうしたゆったりしたバラードだとボロが出やすい にも係わらず、彼はしっかり・しっとりと歌い上げ、破綻しそうなところは 全く見られない。ワールドツアーの最中、さして練習する時間もなかったで あろうことを勘案すれば、実に大したものである。音に対するセンス・才能が 豊かなのであろう。
 一方、バンドの方も中々見事な演奏を聴かせてくれる。特にGソロに ついては、これまた日本人泣かせの旋律をもって琴線に触れてくるもので あり、涙または鳥肌なくして聴けないシロモノである。

17 Robot Man

 ライブの最後の最後に配置された当該楽曲については、正直言ってさして 思い入れはない。まあ、ノリのよい曲でありライブ向きであろうとは 思われるものの、所詮その程度の感想しか持ち得ないところである。 むしろ、アンコールは「荒城の月」と「Steamrock Fever」のみにして おいた 方が、効果的であったのではないかと畏れながら愚考される次第である。

 さて、全体を通じてであるが、K・マイネのボーカルはやはり素晴らしい。 様式界においてももちろん相当程度に高い地位を築き上げているが、 「荒城の月」におけるパフォーマンスにより、この人はHRのみならず ひょっとするとトレーニング次第ではクラシック系でもかなりいけたのでは なかろうかと拝察されるところである。要は本当に歌が上手いのである。
 そして、U・ロートであるが、今般CDを聴き直してみて、この人の ギターは評判通りの歌心を有することが確認できた。何しろ 彼のプレイには不自然なところがなく、曲の流れに見事に融合している のである。これは聴いている分には簡単そうであるが、実行するのは 相当難しいものと愚考されるところである。
 また、他3名についても、既に述べたようにしっかりした一体感を持つ リズムを 刻んでいる。ZEPのボンゾ&ジョンジーのような一種異様なヘヴィさは ないものの、スコーピオンズリズム隊はいかにもHR的などっしりした 揺るぎないビートを確立している。といっても、私自身、漫然と聴いて いた従来にあっては、ボーカル以外あまり印象に残っていなかったのであるが、 今さらながらリズム陣の素晴らしさに気づいた次第である。
 全曲通して聴くと、どれがどの曲やら今イチ判然としないという点は 否めないものの、当該アルバムは様式の徒にとって、まさに通過儀礼的 作品である。最後になったが、この"Tokyo Tapes"というタイトルも 何となく意味深であり、作品の味わいを深める一要素となっているやに 愚考されることを申し添えておこう。








名鑑5





Key, Vio : Eddie Jobson
B, Vo   : John Wetton
Ds     : Terry Bozzio


DANGER MONEY / U.K.

デンジャー・マネー / UK


 1  Danger Money
 2  Rendezvous 6:02
 3  The Only Thing She Needs
 4  Caesar's Palace Blues
 5  Nothing to Lose
 6  Carrying No Cross



 夢のスーパープログレユニットとして華々しく登場したUKの セカンドアルバム。ただし、メンバーはデビュー当時のカルテット ではなく、E・ジョブソン、J・ウェットン、T・ボジオの3人である。
 こうした大御所が集まったバンドにありがちであるが、彼らもその 例外ではなく、結成当初のメンバーはアルバム一枚しかもたな かったわけである。まあ、A・ホールズワース、B・ブラッフォードなど という、業界でも屈指のアクの強さを誇る連中が面を並べていたこと から、こうした成り行きは予想できたといえなくもない。
 個人的には、UKは3人になってからの方が好みである。という より、私にとってはUKといえば、このトリオ形態なのであって、 カルテットの頃についてはあまり印象深くないのである(と長年思って いたのだが、ある先輩にカルテット時代のブートレッグライブを聴かせて もらって認識を改めた。>Special Thanks to Mr. Saito)。

 このバンドにおいては、ボーカルをとるJ・ウェットンがその経歴 からしてリーダー格的存在に思えるが、バンドカラーという点に おいては、E・ジョブソンがそのイニシアチブを握っていたと申し 上げて過言ではなかろう。
 UK結成当時、ジョブソンはかなり若かった わけであるが、演奏するキーボードに関しては極めてオーソドックス スタイルの熟成された様式に則ったものであった。楽器的 には、もちろんハモンドオルガンをメインとしながらも、ピアノ やシンセサイザーも積極的に導入し、かつ、そのどれもが心ある人 をううむと唸らせずにはいられない好パフォーマンスだったのである (シンセについては色々言いたいこともあるが)。
 演奏スタイルにはK・エマーソンやR・ウェイクマン の影響を色濃く感じるが、それだけにとどまらず、伝統的様式に 自己のセンスを盛り込み、いわば「新古典派」と呼んでおかしくない スタイルにまで昇華させている。さらに彼はヴァイオリンまで自在に 弾きこなし、豊かな才能をいかんなく発揮させている。

 そして、当該アルバムから参加している新ドラマー、T・ボジオ であるが、この人も相当なテクニシャンとして世界に名を轟かせて いる。若くして、フランク・ザッパのバンドに加わり、かの複雑怪奇な 楽曲のリズム面での要としての重責を果たしつつ、ライブでは ビキニパンツ一丁でドラムを叩くという、これまた非常に重要な 役割を担っていた。ザッパスクール卒業後は、流しの(?)ハイテク セッションドラマーとして数々のミュージシャンと共演、中でも ブレッカー・ブラザーズのライブ("Heavy Metal Be-Bap")での 超絶技巧プレイは、当時多くの人に衝撃を与えた。ちなみに、 私が直接聞いたわけではないが、ボジオによると、このライブでは 持ち技の全てを曝け出した、とのことである。確かに聴いていて コピーしようという気すら起こらん多彩な超難度の技のオン パレードである。かつ、それでいて迸るような熱いプレイは 聴く者を魅了させずにはおかない。それにしても、ブレッカーBと T・ボジオという取り合わせというのも相当に異色である。 エルトン・ジョン&ビリー・ジョエルどころの比ではない。 こうしたジャンルの垣根を超えた共演、いや、競演に彼のドラマーと しての力量の確かさを感じることができる。なお、このヘヴィメタル・ ビバップに収録されている楽曲の多くは、ブレッカーBのスタジオ 盤(タイトルは失念)で聴くことが出来るが、こちらの方ではハービー ・メイスンがドラムを担当しており、ボジオとは全く路線は異なる、 独特のしなやかでうねるようなビートを叩き出しており興味深い。

 話が逸れついでに申し上げると、ボジオが彼の令室をボーカルに 据えて後に結成したバンド「ミッシング・パーソンズ」は、従来の彼 からは全く想像がつかないほどのポップ路線である。ただ、そこは やはり雀百まで踊り忘れずというか、三つ子の魂百までというか、 このバンドの現代的な楽曲のそこここに、思わず「ほお」と膝を打つ ようなフレーズが散りばめられているのである。もちろん、そう感じ させる大前提として、楽曲自体の出来がよいわけであり、特に 彼らの代表作である『スプリング・セッションM』などは、私も一時期 よく愛聴していた名作である。

 さらに脱線することをお許しいただくならば、90年代に入って これまたザッパスクールで同じ釜の飯を食ったかつての同志、 スティーブ・ヴァイのアルバム("Sex and Relision")でのボジオの プレイも光るものがある。ヴァイのウルトラ・テクニックもさること ながら、ボジオの加入によってバンドとしてのサウンドに一本 芯が通っている。

 と、これでは一体どの作品を紹介しようとしているのか、段々 分からなくなってきたので、そろそろ本題である『デンジャー・マネー』 の楽曲に触れていきたい。

1 Danger Money

 1曲目は『デンジャー・マネー』、いきなりタイトルチューンの登場 である。 ハモンドオルガン+シンセサイザーのコードワークによる非常に 重厚かつ長ったらしいイントロで幕開けとなる。のっけから 実に重苦しい響きであり、往年のグラスゴー辺りの煤煙にまみれた 夜明けの空を彷彿とさせるが、もちろん当地の空を実際に私が 知るわけではない。
 コードはテンションを高めて進行し、オーディエンスの神経を不安に させる。途中からブラス的な気だるいファンファーレのようなシンセが 加わり、やや趣を変えるわけであるが、底流に流れる重苦しさは 一向に減じない。

 ドラムについては、タメの効いた重々しいパターンで、曲調に ピッタリとマッチしている。スネアの位置を時たまズラしているが、 こちらの意表を突くタイミングであり、実に効果的である。それに しても、このイントロでのボジオは、見事な間(ま)を作り上げている。 こうしたパターンでは、ついハシってしまうのが世の常なのだが、 彼はドッシリと構えて揺るぎ無いビートを叩き出している(若干 タメ過ぎといえなくもないが)。
 また、このようなガラ空きの音場なら色々と手練手管を尽くした フィルで埋めるのがT・ボジオの持ち味ではないのか?と私など 中途半端に分かったような衆生は考えるところであるが、そこを 敢えて音数を極端に抑えることによって重厚な味わいに磨きを かけているのである。どちらが正解であるかは、一聴瞭然である。

 イントロの最後で刻みが終り、いよいよ曲に入るのかと思うと、 キーボードだけでまたしても不安をアンプリファイヤーさせるかの ようなコードワークが続く。この辺り、よく聴いてみるとテープの 逆回転録音ではないかと拝察されるが、正逆いずれにしろ非常に 雰囲気のある展開である。

 それにしても、抱き石のような重苦しさに堪えかねて、ここいらで 聴くのを止めてしまう非様式な人など、当該曲はインストナンバー である、と勘違いしてしまうのではなかろうか。 なお、付言すれば、このイントロは曲の 最後でまた延々と繰り返される(この場合エンディングですが)。

 さて、ようやくE・ジョブソンが満足したのか、鍵盤が足りなく なったのか、ともかくイントロが終了し、いよいよ曲の中味に 入るわけである。 曲はいきなりコーラスアンサンブルで始まるのだが、その直前に 入っている ハモンドオルガンのグリッサンドに注意していただきたい。
 まさに当該曲、いや、当該アルバムのエキスがここに集約されて いると申し上げて差し支えないだろう。タイミング、音色、音程、等々 どれをとっても、まさしく1ミクロンの狂いもなくツボにピッタリと当て はまるプレイであり、様式の人ならばこれを聴いてチキン肌になる こと必至である。逆にいえば、この部分を鳥肌なしで通過してしまう 人は、残念ながら様式とは縁がないと言わなければなるまい。
 とにかく、この一瞬のオルガンこそ、UKをUKたらしめている ところであり、プログレはまだ死んでいないという高らかな不死鳥 宣言なのである。
 それにしても、さすがは天才と謳われたE・ジョブソンならではの 抜群のセンスである。ハモンドの特性を十分活かした 引きずるようなトーンホイールサウンドで、ほどよい重々しさを演出 しており、実に心憎いプレイである。同じハモンドの使い手でも、 ジョン・ロードならピーキーに歪ませてしまって、せっかくの幻想的な 曲調をスポイルしてしまうのではなかろうか(それはそれで愛嬌が あってヨイが)。

 話が相当長くなっているが、ここまではまだイントロダクションで あり、『デンジャー・マネー』本体はここから始まるのである。
 導入部はいきなりサビから始まっている。ここでのコーラスは それまでの 重苦しさを払拭し、中々ストレートなロックっぽい感じである。 誰と誰が歌っているのか知らないが、クレジットにはボーカルとして ウェットンしか記されておらず、重ね録りであるやも知れない。

 さて、コーラスが「♪デンジャーマーニー♪」とあって、オルガンの リフが「♪ちゃちゃちゃーちゃーちゃちゃちゃーちゃーー♪」と続く のであるが、その次に入っているドラムのフィルが中々にカッコよい。 いかにもボジオらしいメカニカル、かつ、華麗な技を見せ付けて いる。ストレートにスネア〜タムを回すといったピーター・クリスの ようなオカズはひとつもない(別にP・クリススタイルの善し悪しを 問うているわけではない)。
 この辺りの拍子が通常の4分の4のみではないというプログレに ありがちな拍数進行であることもシナジー効果となって、ボジオの複雑な フレージングがさらに難解なものとして聞こえるのである。難解故に カッコいいという典型であり、中々おいそれとはコピーしようという 気にはさせないものを感じさせる。 ならば、単純な4分の4が続いておればコピー出来るのか?と いった根幹的な問題も提起されるわけであるが、それを議論する のはこの場でなくてもよかろう。
 とにかく、このパターンが2回あって、次に普通の歌に入るわけで あるが、歌に入る直前のドラムのフィルがオルガンのフレーズに 合わせていて非常にインパクトがありカッコよい。J・ウェットンも 含めて、こんなパターンで、よく次にすっと移れるものだ と感心するばかりであるが、そこはやはりスーパープログレバンド の看板を背負っている彼らの真骨頂というところといえよう。

 ボーカルについては、ちょっと聞く限りでは中々ソフトかつ洗練 された、いかにも英国らしい趣が感じられる。が、よく聴いてみると 中に一本太い芯が通っていることが窺われる。ELPのグレッグ・ レイクの声をもう少しブリリアントにした感じであろうか。 この辺りの拍数もストレートではないが、彼らにとっては通常の 4分の4とさして変わらないのであろう。ごく自然に聞こえる。 自慢ではないが、私などCDを聴きながらカウントしていてもすぐに 拍子を見失ってしまうのである。

 曲はつつがなく進行し、2コーラス終った後一転して静かな展開と なる。 初めのハイハットだけで刻んでいる部分は、イントロと似通った 雰囲気である。そして、途中からいきなり3人での演奏となるわけで あるが、この辺りのオルガンはまさに涙ものである。ハモンドの 美しい響きを心ゆくまで堪能することができる。  また、この部分に入る際のJ・ウェットンのベースの音が素晴らしい。 楽器は何であるか知らないが、非常に硬質の音でいかにもトリオ 形態にマッチしている。さすがウェットンほどの重鎮になると、前面で 目立ちはしないが、存在感は十分に感じられるところである。  途中、ブラス的なシンセが加わるが、これは今ひとつイモっぽい 趣がある。こうしてイモく盛り上げた後、また静かな展開に落とし、さらに 再度フルバンドバターンに続くが、この辺りはちと冗漫な感じがしない でもない。
 そして今度はサビの部分をボーカル抜きでオルガンが奏でるのであるが、 ここで敢えて声を入れないところが、中々ツボを心得た処置である。 曲に変化を与えると共に、ハモンド好きにも好意的に受け入れられよう。 実はウェットンが唄うのを忘れていた、という未確認情報もあるようだが、 まさに未確認である。
 曲は3番に入りサビを経て冒頭と同じ重々しいグラスゴー的展開となる のだが、このエンディング部分ではすぐにフェイドアウトしている。 イントロと同じ長さだけ入れようとしたジョブソンを他の二人並びに レコード会社が説得したのではないかと愚考されるところである。

2 Rendezvous 6:02

 2曲目は『ランデブー 6:02』。何でこんな中途半端な時間に 落ち合うのか不明であるが、歌詞を読んでも今イチ判然としない。 曲はオーディエンスの意表を突くかのような、ソフトタッチの ピアノで始まる。1曲目とはえらい違いである。イントロから歌に かけて、TOTOの『99』に似ていると私は密かに思っているの だが、時代考証を鑑みれば『99』の方が、この『ランデブー6:02』 に似ていることになる。さらに突き詰めれば、TOTOは『ハイドラ』と いうプログレ風味の長い曲の次に『99』を続けており、曲の配置 的にも似ていると愚考されるところである。

 J・ウェットンのまろやかなボーカルはこの曲にぴったりとマッチ している。1曲目の『デンジャー・マネー』のように喉に負担をかけて 唄うスタイルも中々ヨイが、やはり彼はこの曲のようなタイプの方で 真価を発揮するタイプであろう。ベースについても中々練り込んだ メロディアスなフレーズで、人とベース、両方で唄っているのである。

 途中ピアノソロからブラスシンセっぽい音が入ってくるが、これは あまりよろしくないアレンジであるやに思われる。これによって 曲の核というか芯がボヤけてしまったように聞こえる。天下の E・ジョブソンに私ごときが文句を言うのもおこがましいが、 むしろ、ピアノだけで押し通した方が迫力が出てよかったのでは ないだろうか。

 ボジオのドラムに関しては、これまた非常に玄人好みというか 職人芸的スタイルである。ハイハット、タム、バスドラがまるで ひとつの楽器であるかのような滑らかなプレイであり、実に流麗で ある。ソフィティスケイテッドという形容が似つかわしい。
 バラードの時でも普通の8ビートをラウドに叩いてヒンシュクを かってしまうようなドラマーは、是非この工夫に富んだボジオ・ エチュードを見習っていただきたい。最も見習わなければならない のはお前ではないのか?といった根幹的な疑問が 呈されるやも知れないが、それはまた別の機会に議論の場を 持ちたい。

 それにしても、この曲の歌メロの美しさはどうであろうか。 いつ聴いても琴線を揺さぶってくれる。心がローな時など琴線はおろか 涙腺まで刺激されてしまう ほどである。メロディもさることながら、ウェットンのボーカルが マッチしていることも大きな要因であろう。 勢い余って然るべき腺まで刺激される、などといった ことはないのでお含みおきいただければ幸いである。

3 The Only Thing She Needs

 3曲目に登場するのが 『ジ・オンリー・シング・シー・ニーズ』、ここへ 来て非常に強烈な一発である。イントロのドラムからしていきなり 爆発している。何をどう叩いているのか、また符割りがどうなって いるのか殆ど見当もつかんフレーズであり、まさに天晴れボジオ節 なわけである。以前、『ドラムマガジン』か何かでこの曲を採譜して いたのだが、当該譜面の解説によると、普通は6連符でタムを 回すところを、6連5連7連(であったと思うが定かではない。とにかく 尋常でないパターン)としているとのことであった。確かにボジオ先生 ならやりかねんところであるが、それにしてもわざわざこんな変態的な フレーズを?と、思ってしまう私はやはり所詮は悲しきトーシロなので あろうか。
 大体、フィルの連打で途中に奇数拍のものが入っておれば 次は当然左手から始まることになり(オーソドックス・スタイルの場合)、 非常に叩きにくくギコチなくなってしまうものである。パラディドルなら また違ったことになろうが、それはそれで非常に難しいし、この曲では 普通のシングルストロークプレイに聞こえる。まあ、例え奏法が判明 したところでとても実際に演奏出来ん私のような輩が何をほざいても 虚しいだけのでこの辺りで止めておきたい。いずれにせよ、ボジオは ルーディメント系の技もしっかりと自分のものにしていることが十分 覗えるのである。 なお、冒頭からしばらく鳴っているカウベルは二重録りである。 これはおそらく拍子を見失ってしまいがちが衆生のために、カウント として敢えて入れてあるのではないかと愚考される。

 次に3人のユニゾンによるリフがしばらく続くわけであるが、この 部分がまた実にカウントが取り難い。私など、どうカウントしても 合わんわけであり、ひょっとすると彼らは録音の際、スタジオに 指揮者でも呼んでそのタクトに合わせたのではないかと、つい邪推 してしまうところである。
 この部分のオルガンの音がまた素晴らしい。ハモンド特有の アタック音を活かしたスタッカート気味奏法で、様式の人たちの 琴線をしっかりとくすぐってくれる。このアタック音の大きいサウンドは J・ロードの十八番であったわけであるが、ロードではこの曲の リズムはとれまい。
 なお、さっきからジョン・ロードについて、センスがないだの、リズムが 悪いだの、アザラシに似ているだのと散々コキおろしているが、悪意は全く ないのでご容赦願いたい。個人的にはロードはHRキーボードの先駆者的 存在として認識しており、ジョージ紫氏や難波弘之氏ほど惚れ込んでは いないものの、それ相当に思い入れは持っているのである。

 この後オルガンのリフに続いて3人でのリフ演奏となる。その 直前のドラムがまたまたカッコいい。最後にオルガンと合わせて いるのは1曲目でも使用していたパターンであるが、カッコよければ 何度聞かされても何ら問題はないわけである。
 刻みに入ったこの辺りはメンバー各位のエネルギッシュな演奏が 心地よい。特にボジオに関しては当該楽曲全体を通じて、実にパワフルに 叩きまくっている感がある。前2曲はどちらかというと抑え気味であった 己をここで曝け出したというところであろう。
 途中、シンセによるちょっとしたソロが入るのだが、これは特に必要性を 感じられない。というか、ハッキリ申し上げて余計である。やるならやるで、 もう少し気合の入ったフレーズを弾いて欲しいというのが、偽らざる感想で ある。どーもこのジョブソンは、オルガンやピアノに比べて、シンセの 使い方が今ひとつであるやに感じられるのであるが、これは聴き手の感性の 問題であろうか・・。
 そしてその後よーやく歌に入るわけであるが、ここでもドラムの フィルが冴えている。前出のパターンと同じことをやっているのか いないのか判別できないが、そもそもそうやった分解・分析しよう という気になりもしないフレージングである。また、ここでも単純な 6連符回しでなく、奇数拍連打を取り入れているのかも知れないが、 こちらも敢えて忖度する気にはなれない。しつこいようだが、とにかく カッコよければそれでヨイのである。
 この曲でのボーカルは割と明るい目である。前2曲と違って、 ストレートなロック系といえよう。もちろん、ストレートとはいっても KISSやエアロのストレートさとは全く意味合いが異なるが。この辺りの リズム陣のシンクロ具合(ベースとバスドラ)は実に見事であり、安定感 みなぎるプレイである。
 1番の歌が終ったところで、またイントロのパターンに戻る。 最初の複雑怪奇なドラムソロがまた登場するわけである。これは もう明らかにオーディエンスに対する挑戦であると考えてヨイだろう。 「ふっ・・・、オレぁボジオだぜ」と回転するCD盤の向こうで 呟いているのが聞こえてきそうなほどである。 スイマセンと素直に頭を垂れるしかない。
 曲は2番を経て一旦緩やかなテンポに落とした後、ピアノをフィーチャー したパターンで盛り上げ、次にアップテンポなシンセソロ〜オルガンソロと なるのだが、やはりここでもシンセ部分に冴えが感じられない。考えてみるに、 どうもジョブソンの使用しているシンセの音が、安っぽいというか軽いことに 原因があるようであるが、これも好みの問題であるやも知れない。
 翻って、ボジオの方は大活躍である。随所にA級難度のフィルを散りばめ、 実に豪華絢爛なプレイとなっており、そのどれもが熱い。彼の場合、RUSHの 鉄人ニール・パートと異り、計算しつくされたものはあまり感じられず、 どちらかというと感性に任せた天才肌的なプレイであるといえようか。

4 Caesar's Palace Blues

 次に登場するのが『シーザーズ・パレス・ブルース』、即ち「シーザー の宮殿ブルース」となるわけだが、これのどこがブルースやねん?と 疑問を呈さざるを得ないシロモノであり、「伊勢佐木町ブルース」などとは全く 曲調が異なるのでご留意願いたい。まあ、彼らなりの解釈ではこれが ブルースということなのであろう。
 曲は一曲目と同様ゆったりしたテンポで始まる。が、一曲目と 異なるのはボジオである。『デンジャーマネー』のイントロでは全くフィルを 入れていなかったのに対し、当該楽曲ではスキあらばフィルで塞ぎまくって いるかの感がある。前曲でエンジンがかかってきたのであろうか、一旦火が ついたボジオは、もう誰にも止められないコンボイのようなものである。 最初からそんな飛ばさんでもええがな的プレイで暴れており、これが また実にカッコいいから始末に負えない。他の二人もドラムがダサければ 文句のつけようもあろうが、このように決められては何も言えず、粛々と ロングトーンを流すにとどめている。
 ボーカルが入る直前の部分で、この曲の大きな特徴となっている バイオリンが入る。これがかなり強烈なインパクトを有しており、ギターや キーボード にはない味を醸し出しているやに愚考されるところである。イントロの他、 サビで入っているオブリガードもえらくカッコいい。 バイオリンが 入ったバンドとしてはカンサスなどが著名であろうが、私としてはむしろ ジャンゴ・ラインハルトの「マイナー・スイング」におけるステファン・ グラッペリのプレイを思い浮かべてしまう(ROCKではなくJAZZですが)。
 またソロにおいてもバイオリンが主役を担う。これまた独特の味わいが 出ており、カッコ良さ・衝撃度ともに相当なものである。バイオリンという 楽器の可能性を広げたといっても過言ではないプレイであり、事実彼のような バイオリンを他に聴いたことがない。まあ、細かいことを言えばディレイ (かエコーか知らんが)を利かせ過ぎではないか、といった点もあるには あるのだが、それも雰囲気にマッチしておりカッコ良さの一因となっている やに愚考される。カッコいいといえば、曲の最後の最後でバイオリンの スライドがあるのだが、これも実にバイオリンらしいところである。
 なお、付言するなれば、バイオリンにおいてもジョブソン は速弾き主体のスタイルを貫いている。彼のバイオリンとイングウェイ・ マルムスディーンとのダブルコンチェルトなどがあれば、かなり面白い企画 となるのではないかと愚考を重ねる次第であるが、ひょっとすると現在の 録音技術では音数が多すぎて拾い切れない可能性もないではない。

5 Nothing to Lose

 5曲目は『ナッシング・トゥー・ルーズ』という玉砕的タイトルを有する 楽曲である。曲構成としてはシャッフルとイーブンビートが混在するという 妙なものとなっている(歌パート以外がシャッフル)。 その必然性については侃侃諤諤の議論があるようだが、 インパクト度からいえば混ぜて正解というところであろうか。
 この曲でもバイオリンが入っているのであるが(シンセかバイオリンか 判然としないが多分バイオリン)、そのプレイぶりは前曲の火の玉モード とは大違いで、あまりやる気を感じさせないシロモノである。ジョブソンと してはこの曲が今イチ気に入らなかったのやも知れない。
 実は私としても当該楽曲については大して思い入れはない。どうも中途 半端な気がしてしょうがないところである。当初はそうでもなかったのだが、 彼らのライブ "Night After Night" でのこの曲の気のない演奏を聴いて 以来、どうも好意的にはなれない。

6 Carrying No Cross

 アルバムの最後を飾るのが『キャリーイング・ノー・クロス』なる12分 超という大作である。長時間楽曲という意味では私の様式的琴線 を刺激してくれるのであるが、この曲に関してはちと漫然とした感がある。 構成として非常にソフトなバラード調の歌から始まり、中間に各人の火花 散らしバトル的インタープレイを挟んで、最後にまた歌に戻るという ものであるが、個人的には中間部分だけを取り上げてインスト楽曲とした 方がベターではないか?と愚考される。まあ、世間常識的には現状でも ほとんどインストナンバーですが・・。
 一言お断りしておくが、私は決してこの曲がキライではない。インスト 部分など各人各様(特にボジオ)が激しいプレイでぶつかり合い、それが 見事に昇華された形で融合されており、万華鏡のような絢爛たる世界を 築き上げていると認識している。が、だからこそ、その前後のボーカル部分が ややもすると邪魔に感じられるのであり、もどかしい思いを有してしまう のである。アルバムの最後なのだから、ド派手に締めてもらいたかったと いうのが偽らざる心情である。

 ところで、アルバムの内ジャケットの写真を見るとメンバー各位、 非常に若い。実際全員20代であろうか。そして音の方もやはり若さを 感じさせる。21世紀となった今となっては、全体のサウンドやアレンジ等は やや古さを感じないでもないが、3人の若さ故の熱気・迸り感によって、 それがかなり軽減されている点は素晴らしい。
 そして、やはりボジオのドラムは熱くカッコいい。これまたサウンドと しては、全体的に柔らか過ぎる感がないではないが、それを鑑みてもなお 彼のプレイは光り輝いている。この盤がリマスターされて音質が良く なったら、是非それも聴いてみたいものである。
 何にせよ、当該作品はプログレ史に残るエポックメイキング的アルバムで あり、最初から最後までバンド名に相応しい「UK」色で染まっている。 実際、このような楽曲群はUKの人間にしか作れないであろう。バンドは このアルバム限りで解散してしまったが、逆にこの1枚を残してくれたことに 感謝して、ギネスでも飲みながらじっくり鑑賞したい。





  





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